列車の窓からした時、お葉は解《わけ》もなしに泣けて泣けて仕方がなかつた。その時は何が悲しいか解がわからないのだ。けれども涙が快よく出たのだつた。いまお葉は胸が痛い程苦しい悲しい時でも、容易に涙の出て來ないことを考へたのである。お葉の心は常に淋しく冷たく、涙のやうな暖かいものの湧き出る所のないことを思つた。
 その時お葉の周圍には、人が息づまる程ゐて、鋭い汽笛が響いた時、いつの間にか汽車は走り去つて、泣きぬれたお葉は、一人取り殘されてゐたのである。お葉は物をも言はず、妹を連れ立つて家に歸つた。門には母親が一人わびしく立つてゐたのであつた。
 彼女はまた、婚禮の日を思ひ浮べた。
 母や姉や妹は美しく着かざつて兄や嫂と共に車を列ねて、夕暮の街を華やかな洋館に向つて走つたのである。夕闇のなかに近所の人の顏が白く浮んでゐた。お葉は門にぴたりと身をよせて、そこに蚊柱のたつのを、ぢつと眺めてゐたのであつた。
 やがて彼女は、お酒や折づめや口取りなどの散らばつた茶の間の窓ぶちに、直角より曲らない右足を投げ出して、横坐りになつたのである。灯《ひ》もつけない部屋のうちに、お葉のネルの單衣《ひとへ》が只白く
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