振り顏を合せた兄や嫂の間には、幼兒をなくした嘆のみが繰り返されてゐた。そして臺所に煮物してゐるお葉の災については、忘られたやうに口にするものがなかつた。折々疊をすつて往來するお葉の姿を、母親はかなしく見送りながら氣を兼ねるやうに、
「お葉もまたこまつたもんだと思つたけれども、今ぢやなんでも出來ないことはないのだから――、けれどもお前が來たなら、さぞ驚くことだらうと思つて――」
と眼をしぼしぼさせた。兄は何も言はずに肯《うなづ》いてゐた。嫂は荷物の散らかつたなかに鍵がないと探してゐた。お葉はそれを障子の影に聞いてゐたのである。そして靜かにマッチをすつて瓦斯七厘に火をつけた、青い火が燐のやうに淋しく靜かな音をたてて燃え出し、ニュームの鍋が清らかな色を投げたのである。
お葉は兄と嫂が結婚して遠く旅立つ時、ステーションに送りに出た十七の自分を思ひ出したのであつた。その時髮には水色のリボンがついてゐた。そしてステーション通りの瓦斯燈の灯かげに、白いアカシヤの花が、ほのかに匂つてゐるのだつた。
「それからお葉、あとで手紙がついたならば纏《まと》めて兄さんの所によこすやうに――。」
そんな聲が
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