彼の言葉も、彼女に取つていかに、源《みなもと》の知れない水であつたらうか。
 彼女は、やがてまた彼に對して、何か言はうとした。けれども、すべての言葉は、言ひ出さうとする時、たよりなく厭はしく思はれた。それに、戀人の心は、知られざる淵であつたから、投げ入れた小石の行方に對する不安が、彼女のかなしみの心に、いかなる嘆きを齎らすか、はかり知れなかつた。
 彼女はまた、遂に沈默した。
『もうぢきですね。』
 不意に、彼が沈默を破つた。そして、常の如くに輝いてる彼の瞳は、彼女を見た。
『えゝ、もうぢきですわ。』彼女は、つとめてかるく答へた。そして再び、目の前に孔雀の翅《はね》のきらびやかな蔭を想像した。
 二人は、最終の所で電車を降りた。そしてこまかな店の間を通りぬけて、線路を横ぎつた時に、うす藍色の空のはてにつゞく、白い路を見た。二人は立止まつた。はるかな戀に對する、かぎりない希望の淋しさが、彼女の心を引きしめた。
『野があるでせうか。』
 彼女は、その手に杖をにぎりしめて、戀人を見た。彼は、はるかな空のなかに瞳をかゞやかせながら言つた。
『きつと、いゝ野があるに違ひない。』
 二人は歩いた。
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