い瞳を糸のやうに開いて、本当にほのかなかすかな息をついてゐたのだった。
どんなに早くっても今夜おそくか、明朝にきっとなるだらうと産婆が云ったために、彼は幾分か安心したのであったけれども、自分の留守にこのあまりに不思議な怖ろしい奇蹟が彼女に行はれたといふことが彼には、どうしたことだといふやうに、只驚かされてしまったのだった。彼女は、一体どうなったか。
やがて彼女は、どこからともなくかなしげなほそ/″\とひゞく唄の声を聞いた。そしてその唄が、彼女のうつゝな心のなかに次第次第に目覚めかゝらうとして来た時、彼女の心が急になんともしれない非常な気づかいの為めに驚いたやうに瞳を見開いた。
人が歩いてゐる。この部屋のなかをひそかにそっと、何物かを抱へながら静かに唄を歌ってるのだ。
『ねんねんねんねん――ねんねんや。』
その声がどんなに物あはれに、その声がかなしみからやうやうぬけ出たやうにきこえたことだらう。唄ってるのは男だった。彼のいづこからその細やかな、すき通るやうな声が出て来るのであらうか。彼は一生懸命だった。赤ん坊を両手に抱へ込んで、静かに瞳をふせながら折々糸のやうに細く声を立てゝ泣くのをなだめようと、歩いてるのであった。そして赤ん坊のあまりに物あはれなその顔に、彼のくぼんだ深い瞳をうるませながら、なぐさめがたい悲しみにふるえながら、ひそかに歩いてゐたのであった。
『あゝ、赤ちゃんは。』
彼女の不思議な気がゝりが、彼女が目覚めると同時に声を立てた。そして彼女は赤ん坊をかゝへてゐる男の後姿をながめた。
『あゝ、赤ちゃんが泣くの。』
けれども、彼女の声はひくかった。彼は静かに唄を歌ってゐた。
『ねんねんねんねん――ねんねんや――赤ちゃんはおりこうだ、ねんねしな――』
彼女はふと、その唄を聞くと、涙がぼうと浮んで来た。そしてそのかなしみのなかに、彼女は茫然と沈んでしまった。動かされない身体の痛みとだるさを、そして彼女は急に感じたのだった。
彼女は、やがてまた耳についてるやうな、細くかなしげな声の為めに目覚めた。そしてそっと彼女の隣りの夜具に瞳をやると、大きな夜具の上が心地《こゝろもち》動いたとも思はれないほど、動いて、すき通るやうな小さな声はそこから洩れてゐたのであった。
『おゝ、赤ちゃんや。』
彼女は、力なく夜具のなかから手を出した。そして隣りの夜具の上にやう
前へ
次へ
全9ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
素木 しづ の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング