やくその指をのばした。そして彼女の口は自然に開かれて彼女がかつて唄ったことのない唄が口から出て来た。
『ねんねんねんねん――ねんねんな。ねんねんねん――ねんねしな――。』
 とぎれとぎれに彼女は力なく唄って、その疲れたやうな白い小さな指先で、夜具の上を静かに打ちはじめた。
 彼女はつかれた。そして彼女の手は赤ん坊の夜具の上にしほれたやうに投げ出されたまゝ動かなくなった。そして彼女の瞳がぼんやりと閉ぢられてしまったけれども、彼女はなほ唄ってゐた。
『ねんねんねんねん、ねんねんな――、赤ちゃんはねんねしな、ねんねしな――』
男は、ふとつめたい床のなかから唄の声を聞いて飛び立つやうに目覚めた。そして見るとねてるやうな彼女の唇から、歌がとぎれとぎれに聞えてゐたのであった。そして赤ん坊は小さな顔に皺をよせて、細い細い声を立てゝ泣いてゐた。
 しら/″\と白い光りが部屋のなかにどこともなくたゞよって、いつのまにか部屋は暁の冷たい空気にみたされた。そして彼等の夢のやうな夜が明けたのであった。そして、彼も彼女も淋しく床のなかにめざめた。
 赤ん坊は、一人赤ん坊のみは、やうやく平和のかなしみのなかに瞳を閉ぢて、静かな息をついてゐた。
 お葉は、初めて、やうやく、彼と自分との間にかつて見なかった所の、そしていづこから来たとも知れないこの小さな生き物が横へられてあるのを見て驚いた。彼女はしみじみと、半ば布団のかげに、半ば白い光りをあびてる幼な児の顔を不思議なものゝやうに見つめた。
「私から、私からこの生き物が生れた?」どうしてそんな事を信ずることが出来よう。おゝそして、それが我子、我子と云はねばならないか。どうして、そんな事を信ずることが出来やうか。」
 あの苦しいなやみ、あの苦しい痛みのうちにこの赤ん坊が生れたとしたならば、それは神か悪魔でなければならない。けれども、この生れ出たこの悪魔は、神はどうしてあはれむべきものであらうか。
『私は、私が赤ちゃんを生んだのでせうか。そうして、この赤ちゃんは、一体誰れのものなのでせう。』
 彼女は男の目覚めてるのを見て云った。
『可哀想だ、俺はたゞ可哀想でならない。そして、この生れて来たあはれな小さなものは俺だち二人のなかに生れ、俺だち二人の間にゐるのだからね、なんといふ可愛いやつだらう。大切にしなければならない、なにしろ、しかしどうしたらいゝもの
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