世界考察を無視した・全然別の側からの世界評価によってもまた同じことだと彼には思われた。即ち、頭の中だけで造り上げられた少年の虚無観に、今や、実際の身辺の観察から来た直接な無常観が加わって来たのだ。麾下《きか》数万の軍勢を見渡しながら、百年後にはこの中の一人も生残っていないであろうことを考えて涕泣《ていきゅう》したというペルシャの王様のように、この少年は、今や、自己の周囲の凡てに「限られたるもののしるし[#「しるし」に傍点]」を認めて胸をさされるのであった。物についてばかりではない。とりわけ、どのようなまことの愛情でも、それが他の極めて詰まらないものと同様に果敢《はか》なく消えて行くことに、彼は身を焼かれるような烈しい悲しさ寂しさを感じた。――(更に何年か経って、今度は、反対に、どのような愚劣|醜陋《しゅうろう》な事柄でも、崇高な事物と同様に、存在の権利を有ち、何らの醜い酬をも受けずに、美しいものと少しも変りなく、その存在を終えて行くことに、心の冷え行くようなむごたらしい[#「むごたらしい」に傍点]感動を覚えたのだが。)――
(註2) 不思議なことに、小学生の頃の彼は、全体的な人類の滅亡などという考えにばかり紛れて、個人としての自分の死というものについては、それほど直接な惧《おそ》れを感じなかった。それを感ずるようになったのは大分後のこと――中学生になってからのことだ。中学に入ってから目立って身体の弱くなった彼は、就寝後、眼をとじては、「死というもの」を――抽象的な死の概念ではなく、病弱な自分に遠からず訪れてくるに違いない、(本当にその頃彼は寿命の短いに違いないことを確信していた)直接的な死[#「死」に丸傍点]を考えた。自分の臨終の時の気持を考え、その瞬間から振返って見て感じるであろう・一生の時[#「時」に丸傍点]の短かさの感じ(それは二十年でも二百年でも同じ短かさに決っている)を彼は想像して見る。ああ、本統に、なんて短いんだろうと、誇示的にではなく、全くしみじみと、心からの頼り無さを以て、そう考えられるに違いない。自分も世俗の人々と同じく、その瞬間までは、無我夢中で、大きなものの中における自分の位置などは全然悟らずに、あくせく[#「あくせく」に傍点]と世事に心を煩わして過ごし、(いや、その途中で、一度か二度位は、雑鬧《ざっとう》の中で立止って思索する男のように、ひょいと自己の真の位置に気付くこともあるかも知れない。)さてその最後の瞬間に至って、始めてハッとするのだろう。ハッとして、さて、それから、どうなるのだ?……そんな事をあても無く想像して見るだけで、真正面からこれについて考える気力が無く、大掃除を一日延ばしにして怠けている安逸さで、一日一日、それとの直面を惧れ避けているのであった。(それでいて、彼は、「いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らん」などと言った男を憎んだ。「いまだ死を知らず。いずくんぞ生を知らん」と感ずるような素質を享《う》けた人間だってあるんだ、と考えたのである。)いわば、ちょうど小説を読む時に、途中の哀れな事件――主人公がいじめられたりするような――などは読むに堪えず、ドンドン飛ばして先を読もう、結末を知ろうとして、書物の終りの方の頁を繰って見る根気の無い読者のように、――そういう人々にとっては、経過とか経路とかいうものは、どうでもよい。ただ、結果だけが必要なのだが――彼もまた、途中の一切の思索とか試錬とか、そういうものを抜き[#「抜き」に傍点]にして――そんなものには、とても堪えられない。そんなものに真正面からぶつかって行く勇気も根気も無い――ただ結局の所、ぎりぎり結著《けっちゃく》の所だけを聞きたいと思うのであった。(誰に? 神に?)「一体私たちの魂は不滅なものですか? それとも、肉体と共に滅びてしまうものですか?」不滅だという答を得たところで救われるとは思わないが、(というより、死を厭う気持の中には、自我の滅亡への恐れということの外に、現在の我の存在形式への愛着が大いに含まれていると思われたが、それをはっきり見定めることは彼には出来なかった)何としても「我」が失くなるなどということは堪らないし、それに、(これは第二次的なことだが)人間の誰もが、こんな恐怖を味わわねばならぬように出来ていることが何としても不都合に思えたのである。「永遠に生きることの恐ろしさ」? それはまた、別の話だ。俺たちは今そんな事を考える必要はない。それに、それはいわば、金の使い途《みち》に頭を悩ます金満家の贅沢《ぜいたく》ではないか、と当時の三造は、そんな風に思った。
[#ここで字下げ終わり]
二
ポケットを探って取出した部屋の合鍵が、掌にひやりとした感触を与えるほどの時候になっていた。
暗い部屋に入って電燈を点《つ》け、まず表に向った窓を明放って空気を換える。それから、隅に吊るした鸚鵡《おうむ》の籠をのぞいて餌の有無を見てから、衣服も換えずに、ベッドの上に仰向けに、両手の掌を頭の下に組合せて、ひっくりかえる。
そう疲れるはずはないのに、ひどく疲れたような感じである。今日一日、何をしたか? 何もしはしない。朝遅く起き、朝昼兼帯の食事を階下の食堂で済ませてから、読みたくもない本を無理に辞書と首っぴきで十頁ほど読み、それに倦むと、親戚の子供の死んだのにくやみ[#「くやみ」に傍点]の手紙を出さなければならないことを思い出して、書こうとしたが、どうしても書けない。結局手紙はよして、表に飛出し、街へ行って映画館に入り、そうして帰って来ただけのことだ。何という下らない一日! 明日《あした》は? 明日は金曜と。勤めのある日だ。そう思うと、かえって何か助かったような気になるのが、自分でも忌々《いまいま》しかった。
時勢に適応するには余りにのろま[#「のろま」に傍点]な・人と交際するには余りに臆病な・一介の貧書生。職業からいえば、一週二日出勤の・女学校の博物の講師。授業に余り熱心でもなく、さりとて、特に怠惰という訳でもない。教えることよりも、少女たちに接して、これに「心優しき軽蔑」を感じることに興味をもち、そうして秘かにスピノザに倣って、女学生の性行についての犬儒的《シニック》な定理とその系とを集めた幾何学書を作ろうか、などと考えている。(例えば、定理十八。女学生は公平を最も忌み嫌うものなり。証明。彼女らは常に己《おのれ》に有利なる不公平のみを愛すればなり。の如き。)結局、学校へ出る二日は自分の生活の中で余り重要なものでないと、この男は思い込みたがっているのだが、この頃では、それがなかなかそうではなく、時として、学校が、というよりも、少女たちが、自分の生活の中にかなり大きい場所を占めているらしいことに気付いて愕然とすることがある。
学校を卒業して二年目、父の死によって全く係累のなくなった三造が、その時残された若干の資産を基《もと》に爾後《じご》の生活の設計を立てた。その設計に従ってその時自分がヌクヌクともぐり込もうとした坑《あな》の、何と、うじうじと、ふやけた、浅間しくもだらしないものだったか。今の三造には腹が立って腹が立って堪らないのである。
その時、彼は自分に可能な道として二つの生き方を考えた。一つはいわゆる、出世――名声地位を得ることを一生の目的として奮闘する生き方である。もとより、実業家とか政治家とか、そういうものは、三造自身の性質からも、また彼の修めた学問の種類からいっても、問題にならない。結局は、学問の世界における名誉の獲得ということなのだが、それにしても、将来の或る目的(それに到達しない中に自分は死んでしまうかも知れない)のために、現在の一日一日の生活を犠牲にする生き方である点に、変りはない。もう一つの方は、名声の獲得とか仕事の成就とかいう事をまるで[#「まるで」に傍点]考えないで、一日一日の生活を、その時その時に充ち足りたものにして行こうという遣り方、但し、その黴《かび》の生えそうなほど陳腐な欧羅巴出来の享受主義に、若干の東洋文人風な拗《す》ねた侘《わ》びしさを加味した・極めて(今から考えれば)うじうじといじけた活《い》き方である。
さて、三造は第二の生活を選んだ。今にして思えば、これを選ばせたものは、畢竟彼の身体の弱さであったろう。喘息と胃弱と蓄膿とに絶えず苦しまされている彼の身体が、自らの生命の短いであろうことを知って、第一の生き方の苦しさを忌避したのであろう。今に至るまで治りようもない・彼の「臆病な自尊心」もまた、この途を選ばせたものの一つに違いない。人中に出ることをひどく[#「ひどく」に傍点]恥ずかしがるくせに、自らを高しとする点では決して人後に落ちない彼の性癖が、才能の不足を他人の前にも自《みずか》らの前にも曝《さら》し出すかも知れない第一の生き方を自然に拒んだのでもあろう。とにかく、三造は第二の生き方を選んだ。そして、それから二年後の、今のこの生活はどうだ? この・乏しく飾られた独り住居の・秋の夜のあじきなさ[#「あじきなさ」に傍点]は? 壁に掛けられたあくどい色の複製どもも、今はもう見るのも厭だ。レコオド・ボックスにもベエトオベンの晩年のクヮルテットだけは揃えてあるのだが、今更かけて見よう気もしない。小笠原の旅から持帰った大海亀の甲羅ももはや旅への誘いを囁《ささや》かない。壁際の書棚には、彼の修めた学課とは大分系統違いのヴォルテエルやモンテエニュが空しく薄埃をかぶって並んでいる。鸚鵡《おうむ》や黄牡丹《きぼたん》いんこ[#「いんこ」に傍点]に餌をやるのさえ億劫《おっくう》だ。ベッドの上にひっくり返って三造はただ茫然としている。身体も心も心棒《しんぼう》が抜けてしまったような工合である。日々の生活の無内容さ[#「無内容さ」に丸傍点]が彼の中に洞穴をあけてしまったのか。それは先刻記憶から喚起した・あの底無しの不安とは全然違う。腑抜けとなり、不安も苦痛も感じなくなったような麻痺状態である。
ぼやけた彼の意識の隅に、しかし、明日出勤する学校の少女たちの雰囲気が、それだけが彼の仮死的な生活の中で、唯一の生きたものであるかのように、明るく浮上って来た。一人一人に見れば、醜くもあり卑しくもあり愚かでもある少女たちが自分の生活の中で触れ得る唯一の生きた存在なのか? 豊かであるようにと予定したはずの日々が何と乏しく虚《むな》しいことか。人間は竟《つい》に、執着し・狂い・求める対象がなくては生きて行けないのだろうか。やっぱり、自分も、世間が――喝采し、憎悪し、嫉視し、阿諛《あゆ》する世間が、欲しいのだろうか。例えば、と彼は考えない訳に行かない。例えば、先週勤め先の学校で国漢の老教師が近作だという七言絶句を職員室の誰彼に朗読して聞かせていた時、父祖伝来の儒家に育った自分が冗談半分その韻をふんで咄嗟《とっさ》に酬いて見せた。その巧拙よりも、方面違いの若い博物の教師がそんな事をして見せたものだから、老先生はすっかり驚いて、人の良さそうな大袈裟な身振で讃め上げてくれたのだが、全く、その時、自分は――尊大なるべき俺の自尊心は――何と卑小な喜びにくすぐられたことだろう! 実際、その老教師が讃めた言葉の一句一句をさえハッキリ記憶しているほど、喜ばされたのではなかったか。ワイニンゲルによれば、女は、一生の間に自分に向って言われた讃辞《ほめことば》をことごとく覚えているものだそうだが、どうやらこれは女ばかりに限らないようだ。そういえば、俺はここ何年何箇月かの間、自分に向って発せられた一つの讃辞をも聞かなかった。自分の飢えていたのは、こんな詰まらないもの[#「もの」に傍点]に対してだったのか。それでは、それほどちっぽけ[#「ちっぽけ」に傍点]な虚栄心を充たしたがっているお前が、何故、こんな世間とかけ離れた生活を選んだのだ。オデュッセイアと、ルクレティウスと、毛詩|鄭箋《ていせん》と、それさえ消化《こな》しかねるほどの・文字通りの「スモオル・ラティン・アンド・レス・グリイク」と、それだけで生活は足りると思っ
前へ
次へ
全6ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング