ル師を気取るにも当るまいではないか。世俗を超越した孤高の、精神的享受生活の、なんどと自惚《うぬぼ》れているんだったら、とんだお笑い草だ。行動能力が無いために、世の中から取残されているだけのことじゃないか。世俗的な活動力が無いということは、それに、決して世俗的な慾望までが無いということではないんだからな。卑俗な慾望で一杯のくせに、それを獲得するだけの実行力が無いからとて、いやに上品がるなんざあ、悪い趣味だ。追いつめられた孤立なんぞは少しも悲壮でなんかありはしない。それから、もう一つ。世俗的な才能が無いということは、決して、精神的な仕事の上に才能があるということにはならないんだからな。決して。大体が、享受的生活などというものが、そもそも生活無能力者の・最後の・体裁の良い隠れ家なんだぜ。何だと? 「人生は、何もしないでいるには長過ぎるが、何かするには短か過ぎる」? 何を生意気を言ってるんだ。長過ぎるか、短か過ぎるか、とにかく、それは何かやって見てから言うことだよ。何も判りもしないくせに、何の努力もしないでおいて、イヤに悟ったようなことをいうのは、全く良くない癖だ。それが本当の生意気というもの
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