も敵がいるのだ。俺[#「俺」に丸傍点]はその敵を見たことはないが、伝説《いいつたえ》はそれについて語っており、俺[#「俺」に丸傍点]も確かにその存在を信じる。彼らは土地の内部に深く棲むもの[#「もの」に傍点]である。伝説でさえも彼らの形状を画くことができない。彼らの犠牲に供せられるものたちも、ほとんど彼らを見ることなしに斃《たお》れるのだ。彼らは来る。彼らの爪の音を(その爪の音こそ彼らの本体なのだ)、君は、君の真下の大地の中に聞く。そしてその時には既に君は失われているのだ。自分の家にいるからとて安心している訳に行かない。むしろ、君は彼らの棲家にいるようなものだ。」ほとんど宿命論的な恐怖に俺[#「俺」に丸傍点]は追込まれている。熱病患者を襲う夢魔のようなものが、この窖に棲む小動物の恐怖不安を通してもやもやと漂《ただよ》っている。この作者はいつもこんな奇体な小説ばかり書く。読んで行くうちに、夢の中で正体の分らないもののために脅されているような気持がどうしても附纏《つきまと》ってくるのである。
その時、入口の扉《ドア》にノックの音がして顔を出したのは、事務のM氏であった。はいって来ると、
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