、紅葉《もみじ》が、咲いて、すぐに、消える。火薬の匂が鼻に沁み、瞬間淀み切っていた彼の心は、季節|外《はず》れの・この繊細な美しさにいささかの感動を覚えていた。余りにも惨めな・いじけた・侘びしい感動を。
三
静かな博物標本室の中。アリゲエタアや大蝙蝠《おおこうもり》の剥製だの、かものはし[#「かものはし」に傍点]の模型だのの間で三造は独り本を読んでいる。卓子の上には次の鉱物の時間に使う標本や道具類が雑然と並んでいる。アルコオル・ランプ、乳鉢、坩堝《るつぼ》、試験管、――うす碧《あお》い蛍石、橄攬石《かんらんせき》、白い半透明の重晶石や方解石、端正な等軸結晶を見せた柘榴石《ざくろいし》、結晶面をギラギラ光らせている黄銅鉱……余り明るくない部屋で、天井の明り窓から射してくる外光が、端正な結晶体どもの上に落ち、久しく使わなかった標本のうす[#「うす」に傍点]埃をさえ浮かび上がらせている。それら無言の石どもの間に坐って、その美しい結晶や正しい劈開《へきかい》のあと[#「あと」に傍点]を見ていると、何か冷たい・透徹した・声のない・自然の意志、自然の智慧に触れる思いがするのであ
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