おの》れの心の在《あ》り処《か》を自ら知らぬものかと、今にして驚くの外はない。
伯父の死後七年にして、支那《シナ》事変が起った時、三造は始めて伯父の著書『支那分割の運命』を繙《ひもと》いて見た。この書はまず袁世凱《えんせいがい》・孫逸仙《そんいっせん》の人物|月旦《げったん》に始まり、支那民族性への洞察から、我が国民の彼に対する買被《かいかぶ》り的同情(この書は大正元年十月刊行。従ってその執筆は民国革命進行中だったことを想起せねばならぬ)を嗤《わら》い、一転して、当時の世界情勢、就中《なかんずく》欧米列強の東亜侵略の勢を指陳《しちん》して、「今や支那分割の勢既に成りて復《また》動かすべからず。我が日本の之に対する、如何にせば可ならん。全く分割に与《あずか》らざらんか。進みて分割に与らんか」と自ら設問し、さて前説が我が民族発展の閉塞を意味するとせば、勢い、欧米諸国に伍して進んで衡《こう》を中原に争わねばならぬものの如く見える。しかしながら、この事たる、究極よりこれを見るに「黄人の相|食《は》み相闘ふもの」に他ならず、「たとひ我が日本甘んじて白人の牛後となり、二三省の地を割き二三万方里の
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