皮肉にも、憤《いきどお》る勿《なか》れ、となっていたのである。三造の思出すのは大抵このような意地の悪いことばかりだった。ただ、一、二年前と少し違って来たのは、ようやく近頃になって彼は、当時の伯父に対する自分のひねくれた気持の中に「余りに子供っぽい性急な自己反省」と、「自分が最も嫌っていたはずの乏しさ[#「乏しさ」に傍点]」とを見るようになったことである。
 彼は、軽い罪ほろぼしの気持で『斗南存稾』を大学と高等学校の図書館に納めることにした。但し、神経の浪費を防ぐために、郵便小包で送ろうと考えたのである。図書館に納めることが功徳《くどく》になるか、どうかすこぶる疑問だな、などと思いながら、彼は、渋紙を探して小包を作りにかかった。

       *

 右の一文は、昭和七年の頃、別に創作のつもりではなく、一つの私記として書かれたものである。十年|経《た》つと、しかし、時勢も変り、個人も成長する。現在の三造には、伯父の遺作を図書館に寄贈するのを躊躇する心理的理由が、もはや余りにも滑稽な羞恥としか映らない。十年前の彼は、自分が伯父を少しも愛していないと、本気で、そう考えていた。人間は何と己《
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