く反撥するのであろう。彼はこんなことを考えながら、書続けて行った。)
(三) 移り気
彼の感情も意志も、その儒教倫理(とばかりは言えない。その儒教道徳と、それからやや喰《は》み出した、彼の強烈な自己中心的な感情との混合体である。)への服従以外においては、質的にはすこぶる強烈であるが、時間的には甚だしく永続的でない。移り気なのである。
これには、彼の幼時からの書斎的俊敏が大いにあずかっている。彼が一生ついに何らのまとまった労作をも残し得なかったのはこの故である。決して彼が不遇なのでも何でもない。その自己の才能に対する無反省な過信はほとんど滑稽に近い。時に、それは失敗者の負惜《まけおし》みからの擬態とも取れた。若い者の前では、つとめて、新時代への理解を示そうとしながら、しかも、その物の見方の、どうにもならない頑冥《がんめい》さにおいて、宛然《えんぜん》一個のドン・キホーテだったのは悲惨なことであった。しかも、彼が記憶力や解釈的思索力(つまり東洋的悟性)において異常に優れており、かつ、その気質は最後まで、我儘《わがまま》な、だが没利害的な純粋を保っており、また、その気魄の烈しさが遥かに常
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