ればなる程益々増して行く。南洋に来た最初の年よりも三年目の方が、三年目より五年目の方が、土人の気持は私にとって一層不可解になって来た。
勿論「怖れ」と「敬い」との混同は我々文明人にもあるとは云える。ただ其の程度と現れ方とが非常に違うだけで。だから、此の点に就いての彼等の態度もそれ程分らぬことはないと、強いて言えば言えるかも知れぬ。アンガウル島へ燐鉱掘りに狩出されて行く良人を浜に見送る島民の女は、舟の纜《ともづな》に縋《すが》ってよよ[#「よよ」に傍点]と泣き崩れる。夫の乗った舟が水平線の彼方に消えても、彼女は涙に濡れたまま其の場を立ち去らない。誠に松浦佐用姫も斯《か》くやと思われるばかりである。二時間後には、しかし、此の可憐な妻は、早くも近処の青年の一人と肉体的な交渉をもっているであろう。これも我々に判らぬことはない、などと言えば、世の婦人方から一斉に論難されること請合《うけあ》いだが、しかし、斯うした気持の原型が我々の中に絶対に無いと言う方があれば、それは余りにも心理的な反省に欠けた人に違いない。西班牙《スペイン》領から独逸《ドイツ》領になった時、前夜迄の忠実無比な下僕や隣人が忽ち
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