。それに対して私は、あとで考えて見て可笑しく思った程むき[#「むき」に傍点]になって怒鳴り立てた。老人は最早瞼をつまみ上げることも薄笑いを浮かべることも止めて、神妙に、というより呆気《あっけ》にとられたように、私の前に突立っていた。よせばいいのに、私は斯んな事まで言って了ったらしい。金が欲しさに親しい友人迄裏切るような下劣な奴に、もう私の仕事は頼もうと思わぬと。その他何やかや大きな声で私は彼を叱り付けたようである。暫くしてひょいと気が付くと、老人は何時か石の様な無表情さになっており、私の声も聞かなければ私の存在をも認めていない様子である。先程述べたあの不思議な状態、凡《すべ》ての感覚に蓋《ふた》をした・外界との完全な絶縁状態に陥っていたのである。私は驚いたが今更急に折れて機嫌をとる訳にも行かない。それに今となっては、何を言おうが何をしようが、凡てを閉じ円くなって武装した穿山甲《アルマジロ》の様に、彼は何ものをも知覚しないであろう。
 沈黙の半時間の後、ふと我に返ったように老人は身を動かし、すうっと私の部屋から出て行った。
 一時間ばかりして、私は、先刻――老人が来る前に確か机の上に置い
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