コシサンはまだア・バイのリメイの許に逃げ出す決心がつかないでいた。彼は唯哀願して只管《ひたすら》に宥恕《ゆうじょ》を請うばかりである。
 狂乱と暴風の一昼夜の後、漸く和解が成立した。但し、ギラ・コシサンがキッパリとあのモゴルの女と切れた上で、自ら遥々カヤンガル島に渡り、其の地の名産たるタマナ樹で豪勢な舞踊台《オイラオル》を作らせ、それを持帰った上で、其の披露|旁々《かたがた》二人の夫婦固めの式を行うという条件つきである。パラオ人は珠貨《ウドウド》と饗宴との交換によって結婚式を済ませてから数年の中に又改めて「|夫婦固めの式《ムル》」をすることがある。勿論|之《これ》には多額の費用が要《い》るので、金持だけが之をするのだが、大して裕《ゆた》かでないギラ・コシサン夫婦はまだ之をしていなかった。今此の上に尚舞踊台迄も作るということは並々ならぬ経済上の無理を伴うものだったが、妻の機嫌を取結ぶためには何とも仕方が無かった。彼はなけなしの珠貨《ウドウド》を残らず携えてカヤンガル島に渡った。
 恰好なタマナ材は直ぐに切出されたが、舞踊台の製作には大変暇がかかった。何しろ脚が一つ出来たといっては皆を集め
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