ら一部始終を覗いていた夫のギラ・コシサンは、半ば驚き半ば欣《よろこ》び、大体に於て惶《おそ》れ惑うた。リメイによって救われるかも知れぬとの予感が実現しようとしているのは有難かったが、何しろ無敵のエビルが敗れるなどという大変事を前にして、一体この事柄をどう考えていいのか、又、此の事件が己が身にどう影響して来るのか、大いに惶れ惑わざるを得なかったのである。
 さて、エビルはかすり傷だらけの身体に一糸もまとわず、髪の毛を剃られたサムソンの如くに悄然と、前を抑えながら家に戻った。既に習慣となっていた卑屈さのせいで、ギラ・コシサンはリメイと共にア・バイに留まって勝利の歓喜を頒《わか》つことはせず、意気地なくも敗けた女房のあとについてノコノコと帰って来た。
 始めて敗北の惨めさを知った英雄は二日二晩口惜し泣きに泣き続けた。三日目に漸《ようや》く泣声がやむと、今度は猛烈な罵声が之に代った。口惜し涙の下に二昼夜の間沈潜していた嫉妬と憤怒とが、今や、すさまじい咆哮《ほうこう》となって弱き夫の上に炸裂したのである。
 椰子の葉を叩くスコールの如く、麺麭《パン》の樹に鳴く蝉時雨《せみしぐれ》の如く、環礁の外
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