向うむきに寝ている女の肩に手を掛けて揺すぶったが、女は此方を向かない。眠っているのではない様子である。もう一度揺すると、女が向うをむいた儘言った。「私はギラ・コシサンの|思い者《メゲレゲル》だから、誰も触ってはいけない!」ギラ・コシサンはとび上った。欣びに顫《ふる》える声で叫んだ。「俺だ。俺だ。ギラ・コシサンだ。」驚いて振向いたリメイの目に大粒の涙が見る見る湧いた。
大分長い間経って二人が我に返った時、リメイは(エビルを負かす程の強い女だったにも拘わらず)さめざめと泣きながら、彼が来なくなってからの久しい間に、如何に操を立てるのが苦しかったかを、かき口説いた。もう二三日も立てば或いは操を立て通し切れなかったかも知れないとも言った。
妻があれ程淫奔で、娼婦が斯《か》くも貞淑だという事実は、卑屈なギラ・コシサンにも竟《つい》に妻の暴虐に対する叛逆を思い立たせた。以前の壮烈な恋喧嘩《ヘルリス》の結果を見れば、優しく強いリメイがついている限り、幾らエビルが攻寄せて来ても恐れることはない。今迄之に思い到らず、愚図愚図とあの猛獣の窟から逃出さなかったとは、何という愚かなことだったか!
「逃げよ
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