な男の祈願を聞入れたのかどうか、とにかくそれから暫くして、或晩この男は妙な夢を見た。
其《そ》の夢の中で、哀れな下僕は何時《いつ》の間にか長老《ルバック》になっていた。彼の坐っているのは母屋の中央、家長のいるべき正座である。人々は皆|唯々《いい》として彼の言葉に従う。彼の機嫌を損《そこ》ねはせぬかと惴々焉《ずいずいえん》として懼《おそ》れるものの如くである。彼には妻がある。彼の食事の支度に忙しい婢女《はしため》も大勢いる。彼の前に出された食卓の上には、豚の丸焼や真赤に茹《ゆ》だったマングローブ蟹や正覚坊の卵が山と積まれている。彼は事の意外に驚いた。夢の中ながら、夢ではないかと疑った。何か不安で仕方が無い。
翌朝、目が醒《さ》めると、彼はやはり屋根が破れ柱の歪んだ何時もの物置小舎の隅に寝ていた。珍しく、朝鳥の鳴く音にも気付かず寝過ごしたので、家人の一人に酷く叩かれた。
次の夜、夢の中で彼は又長老になった。今度は彼も前夜程驚かない。下僕に命令する言葉も前夜よりは大分横柄になって来た。食卓には今度も美味佳肴《びみかこう》が堆《うずたか》く載っている。妻は筋骨の逞しい申し分の無い美人だし
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