果てた赭土丘《アケズ》の様に全然頭髪の無い人間だって俺は知っている。自分の鼻が踏みつけられたバナナ畑の蛙《かえる》のように潰れていないことも甚だ恥ずかしいことは確かだが、しかし、全然鼻のなくなった腐れ病[#「腐れ病」に傍点]の男も隣の島には二人もいるのだ。
 だが、足るを知ること斯《か》くの如き男でも、やはり、病が酷《ひど》いよりも軽い方がいいし、真昼の太陽の直射の下でこき使われるよりも木蔭で午睡《ひるね》をした方が快い。哀れな賢い男も、時には、神々に祈ることがあった。病の苦しみか労働の苦しみか、どちらかを今少し減じ給え。もし此の願が余りに慾張り過ぎていないなら、何卒、と。
 タロ芋を供えて彼が祈ったのは、椰子蟹カタツツと蚯蚓《みみず》ウラズの祠《ほこら》である。此の二神は共に有力な悪神として聞こえている。パラオの神々の間では、善神は供物を供えられることが殆ど無い。御機嫌をとらずとも祟《たたり》をしないことが分かっているから。之に反して、悪神は常に鄭重に祭られ多くの食物を供えられる。海嘯《かいしょう》や暴風や流行病は皆悪神の怒から生ずるからである。さて、力ある悪神・椰子蟹と蚯蚓とが哀れ
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