れない。或る時そうした場合にぶつかり、彼が謹しんで水中に飛び込もうとすると、一匹の鱶《ふか》の姿が目に入った。彼が躊躇《ちゅうちょ》するのを見た長老《ルバック》の従者が、怒って棒切を投げつけ、彼の左の目を傷けた。巳《や》むを得ず、彼は鱶の泳いでいる水の中に跳び込んだ。其の鱶がもう三尺大きい奴だったら、彼は、足の指を三本喰切られただけでは済まなかったに違いない。
 此の島から遥か南方に離れた文化の中心地コロール島には、既に、皮膚の白い人間共が伝えたという悪い病が侵入して来ていた。その病には二つある。一つは、神聖な天与の秘事を妨げる怪しからぬ病であって、コロールでは男が之《これ》にかかる時は男の病[#「男の病」に傍点]と呼ばれ、女がなる場合は女の病[#「女の病」に傍点]といわれる。もう一つの方は、極めて微妙な・徴候の容易に認め難い病気であって、軽い咳《せき》が出、顔色が蒼ざめ、身体が疲れ、痩せ衰えて何時《いつ》の間にか死ぬのである。血を喀《は》くこともあれば、喀《は》かないこともある。此の話の主人公たる哀れな男は、どうやら、此の後《あと》の方の病気にかかっていたらしい。絶えず空咳《からぜき
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