今や政府側の軍備が充実したに違いない。一年前と比べて、情勢はマターファに著しく不利だ。役人達・酋長《しゅうちょう》達に会って見ても、戦争を避けようと真面目に考えている者がないのに驚かされる。白人官吏は之を利用して自分等の支配権の拡充を考えるだけだし、土人、殊にその青年共は戦争と聞いただけで、ただもう興奮して了う。マターファは案外落着いている。彼は形勢の不利を自覚していないのだ。彼も、彼の部下も、戦争を、自分等の意志を離れた一つの自然現象と考えているようだ。
 ラウペパ王は、彼とマターファとの間に立とうとする私の調停を斥《しりぞ》けた。面と向っている時は極めて愛想の良い男だのに、会わないでいると、直ぐ斯《こ》うだ。彼自身の意志でないことは明らかだが。
 ポリネシア式の優柔不断が戦争を容易に起させないであろうことを唯一の頼として、拱手《きょうしゅ》傍観している外はないのか? 権力を有《も》つのは善い事だ。もし、それが、それを濫用しない理性の下にある時は。

 ロイドに手伝わせながら「退潮《エッブ・タイド》」遅々として進行中。

五月×日
「退潮《エッブ・タイド》」に苦吟。三週間かかって、や
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