鳴し、激励して呉れた。曰《いわ》く、「決して絶望するものではない。私は、如何なる場合にも絶望が無用であることを真に悟る迄長生した少数者の一人なのだ。」と。自分も大分元気になった。俗悪を知り尽くして、尚、高きものを失わない人間は、貴ばれねばならぬ。

 木の葉一枚をとって見ても、サモアの脂ぎった盛上るような強い緑色と違って、此処のは、まるで生気のない・薄れかかったような色に見える。肋膜《ろくまく》が治り次第、早く、あの・空中に何時も緑金の微粒子が光り震えているような・輝かしい島へ帰りたい。文明世界の大都市の中では窒息しそうだ。騒音の煩わしさ! 金属のぶつかり合う硬い機械の音の、いらだたしさ!

四月×日
 濠洲《ごうしゅう》行以来の私とファニイとの病気も漸《ようや》く治った。
 此の朝の快さ。空の色の美しさ、深さ、新しさ。今、大いなる沈黙は、ただ遠く太平洋の呟きによって破られるのみ。
 小旅行と引続いて病気をしている間に、島の政治情勢はひどく急迫して来ている。政府側のマターファ或いは叛乱者側に対する挑戦的態度が目立って来た。土人の所有せる武器を凡《すべ》て取上げることになるだろうという。
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