年間も会わないで全然違った環境に身を置いている中に、彼等と私との間に、越え難い溝が出来ているのではないか? 此の考は恐ろしい。親しい者が長く離れているのは良くないことだ。泣き度い程会いたく思いながら、会った途端に、案外、双方ともあじきなく此の溝を意識しなければならぬのではないか? 恐ろしいが、之は本当かも知れぬ。人は変る。刻々に。我々は何たる怪物であるか!

二月××日 シドニイにて
 自分で自分に休暇を与え、五週間位の予定でオークランドからシドニイヘ遊びに来たのだが、同行のイソベルは歯痛、ファニイは感冒、自分は感冒から肋膜炎《ろくまくえん》。何のために来たのだか解らぬ。それでも当市では、プレスビテリアン教会総会と芸術|倶楽部《クラブ》と、都合二回講演をした。写真を撮られ、像牌《メダリヨン》を作られ、街の通りを歩けば、人々が振返って私を指さし私の名をささやく。名声? 変なものだ。曾《かつ》て自分がそれに成上ることを卑しんだ名士[#「名士」に傍点]に、何時しか成上っているのか? 滑稽《こっけい》な話だ。サモアでは、土人の眼からは、大邸宅に住む白人酋長。アピアの白人連にとっては、政策上の敵
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