それが天に消えて了ったので、更に驚いた。…………独逸に上陸してから、中に汽車というものの沢山はいっている硝子《ガラス》屋根の巨《おお》きな建物の中を歩いた。それから、家みたいに窓とデッキとのある馬車に乗り、五百も部屋のある家に泊った。…………独逸を離れて大分航海してから、川の様な狭い海を船がゆっくり進んだ。聖書の中で聞いていた紅海だと教えられ、欣《よろこ》ばしい好奇心で眺めた。それから、海の上を夕陽の色が眩《まぶ》しく赤々と流れる時刻に、別の軍艦に乗移らせられた。…………」
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 古い、美しいサモア語の発音で、ゆっくりゆっくり語られる此の話は、大変面白かった。
 王は、私がマターファの名を口に出すことを懼《おそ》れているらしい。話好きな、人の善い老人だ。ただ、現在の自分の位置に就いての自覚が無いのである。明後日、又、是非訪ねて呉れという。マターファとの会見も迫っているし、身体の工合も良くないが、兎に角承知して置く。以後、通訳は、牧師のホイットミイ氏に頼もうと思う。同氏の宅で明後日、王と落合うことに決める。

四月×日
 早朝馬で街へ下り、八時頃ホイットミイ氏の家へ
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