た。「此の華やかな俊才の蝕《むしば》まれた肉体は、果して何時迄もつだろうか? 今幸福そうに見える此の父親は、一人息子に先立たれる不幸を見ないで済むだろうか。」と。
しかし、トマス・スティヴンスン氏は其の不幸を見ないで済んだ。息子が最後に英国を離れる三月前に、彼はエディンバラで死んだ。
八
一八九二年四月×日
思いがけなくラウペパ王が護衛を連れて訪ねて来た。うち[#「うち」に傍点]で昼食。老人、今日は中々愛想がいい。何故自分を訪ねて呉れないんだ? などと云う。王との会見には領事連の諒解が必要だから、と私がいうと、そんな事は構わぬ、といい、また昼食を共にしたいから日時を指定せよと言う。この木曜に会食しようと約束する。
王が帰ると間もなく、巡査の徽章《きしょう》のようなものを佩《つ》けた男が訪ねて来た。アピア市の巡査ではない。所謂《いわゆる》叛乱者側(マターファ側の者をアピア政府の官吏は、そう呼ぶ。)の者だ。マリエからずっと歩き通して来たのだという。マターファの手紙を持って来たのだ。私も今ではサモア語が読める。(話す方は駄目だが、)彼の自重を望んだ先日の私の書簡に対する返辞
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