に、之は一体どうした訳だろう? 最も原始的なカテキズム、幼稚な奇蹟|反駁論《はんばくろん》、最も子供|欺《だま》しの拙劣な例を以て証明されねばならない無神論。自分の思想は斯んな幼稚なものである筈はないのに、と思うのだが、父親と向い合うと、何時も結局は、こんな事になって了う。父親の論法が優れていて此方が負ける、というのでは毛頭ない。教義に就いての細緻《さいち》な思索などをした事のない父親を論破するのは極めて容易だのに、その容易な事をやっている中に、何時の間にか、自分の態度が我ながら厭《いや》になる程、子供っぽいヒステリックな拗《す》ねたものとなり、議論の内容そのもの迄が、可嗤《リディキュラス》なものになっているのだ。父に対する甘え[#「甘え」に傍点]が未だ自分に残っており、(ということは、自分が未だ本当に成人《おとな》でなく)それが、「父が自分をまだ子供と視ていること」と相俟《あいま》って、こうした結果を齎《もたら》すのだろうか? それとも、自分の思想が元来くだらない未熟な借物であって、それが、父の素朴な信仰と対置されて其の末梢的《まっしょうてき》な装飾部分を剥《はぎ》去《さ》られる時、
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