る。その家へ出掛けて行って説得、成功。俺の神経も、何と鈍く、頑強になったものだ!
 昨日、ラウペパ王を訪問す。低い、惨めな家。地方の寒村にだって此の位の家は幾らでもある。丁度向い側に、殆ど竣工《しゅんこう》の成った政務長官官邸が聳《そび》え、王は日毎に此の建物を仰いでおらねばならぬ。彼は白人官吏への気兼から、我々に会うことを余り望まぬようだ。乏しい会談。しかし、この老人のサモア語の発音――殊に、その重母音の発音は美しい。非常に。

十一月××日
「難破船引揚業者《レッカー》」漸《ようや》く完成。「サモア史脚註」も進行中。現代史を書くことのむずかしさ。殊に、登場人物が悉《ことごと》く自己の知人なる時、その困難は倍加す。
 先日のラウペパ王訪問は、果然、大騒を惹起《ひきおこ》す。新しい布告が出る。何人も領事の許可なくして、又、許されたる通訳者なしには、王と会見すべからず、と。聖なる傀儡《かいらい》。
 長官より会談の申込あり。懐柔せんとなるべし。断る。
 斯《か》くて余は公然|独逸《ドイツ》帝国に対する敵となり終れるものの如し。何時もうち[#「うち」に傍点]に遊びに来ていた独逸士官達も、出
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