今迄豚は泳げぬものと思っていたが、どうして、南洋の豚は立派に泳ぐ。大きな黒牝豚《くろめすぶた》が五百|碼《ヤード》も泳いだのを、私は確かに見た。彼等は怜悧《れいり》で、ココナットの実を日向《ひなた》に乾かして割る術《すべ》をも心得ている。獰猛《どうもう》なのになると、時に仔羊を襲って喰殺したりする。ファニイの近頃は、毎日豚の取締りに忙殺されているらしい。
 六時から九時まで仕事。一昨日以来の「南洋だより」の一章を書上げる。直ぐに草刈に出る。土人の若者等が四組に分れて畑仕事と道拓《みちひら》きに従っている。斧《おの》の音。煙の匂。ヘンリ・シメレの監督で、仕事は大いに捗《はかど》っているようだ。ヘンリは元来サヴァイイ島の酋長《しゅうちょう》の息子なのだが、欧羅巴の何処へ出しても恥ずかしくない立派な青年だ。
 生垣の中にクイクイ(或いはツイツイ)の叢生《そうせい》している所を見付けて、退治にかかる。この草こそ我々の最大の敵だ。恐ろしく敏感な植物。狡猾《こうかつ》な知覚――風に揺れる他の草の葉が触れたときは何の反応も示さないのに、ほんの少しでも人間がさわると忽《たちま》ち葉を閉じて了う。縮んで
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