告する者も出て来た。王の改選を要求する島民の声が政府を脅していたことは事実だが、マターファ自身は一度も、まだ、そんな要求をしたことはない。彼は敬虔《けいけん》なクリスチャンであった。独身で、今は六十歳に近いが、二十年来、「主のこの世に生き給いし如く」生きようと誓って(婦人に関することに就いて言っているのだ)、それを実行して来た、と、自ら言っていた。夜毎、島の各地方から来た語り手[#「語り手」に傍点]を灯の下に集めて円座を作らせ、彼等から、古い伝説《いいつたえ》や古譚《こたん》詩の類を聞くのが、彼の唯一つの楽しみであった。

   六

一八九一年九月×日
 近頃島中に怪しい噂が行われている。「ヴァイシンガノの河水が紅く染まった。」「アピア湾で捕れた怪魚の腹に不吉な文字が書かれていた。」「頭の無い蜥蜴《とかげ》が酋長《しゅうちょう》会議の壁を走った。」「夜毎、アポリマ水道の上空で、雲の中から物凄い喊声《かんせい》が聞える。ウポル島の神々と、サヴァイイ島の神々とが戦っているのだ。」…………土人達は之を以て、来るべき戦争の前兆と真面目に考えている。彼等は、マターファが何時かは立上って、ラウペ
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