ロイドといった。ファニイは当時、戸籍の上では未だ米国人オスボーンの妻であったけれど、久しく夫から脱《のが》れて欧洲に渡り、雑誌記者などをしながら、二人の子をかかえて自活していたのである。
 それから三年の後、スティヴンスンは、其の時カリフォルニアに帰っていたファニイの後を追うて、大西洋を渡った。父親からは勘当同様となり、友人達の切なる勧告(彼等は皆スティヴンスンの身体を気遣っていた。)をも斥《しりぞ》けて、最悪の健康状態と、それに劣らず最悪の経済状態とを以て彼は出発した。果して加州に着いた時は、殆ど瀕死《ひんし》の有様だった。しかし、兎に角どうにか頑張り通して生延びた彼は、翌年、ファニイの・前夫との離婚成立を待って漸《ようや》く結婚した。時にファニイは、スティヴンスンより十一歳年上の四十二。前年娘のイソベルがストロング夫人となって長男を挙げていたから、彼女は既に祖母となっていた訳である。
 斯《こ》うして、世の辛酸を嘗《な》めつくした中老の亜米利加《アメリカ》女と、坊ちゃん育ちで、我儘《わがまま》で天才的な若いスコットランド人との結婚生活が始まった。夫の病弱と妻の年齢とは、しかし、二人
前へ 次へ
全177ページ中17ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング