ことも事実だ。全く、世の中には、「自分にとって此の人生は、もう何度目かの経験だよ。最早自分は人生から学ぶべき何ものも無いよ。」といった顔をした老人が、実に沢山いる。一体、どんな老人が此の人生を二度目に生活しているというのだ? どんな高齢者だって、彼の今後の生活は、彼にとって初めての経験に違いないではないか。悟ったような顔をした老人共を、私は(私自身は所謂《いわゆる》年寄ではないが、年齢を、死との距離の短かさで計る計算法によれば、決して若くはあるまい。)軽蔑《けいべつ》し、嫌悪する。其の好奇心のない眼付を、殊には、「今の若い者は」といった式の、やにさがった[#「やにさがった」に傍点]ものの言い方を(単に此の遊星の上に生れ出ることが、たかだか二三十年早かったからというだけで、自分の意見への尊重を相手に強いようとする・あのものの言い方を)嫌悪する。Quod curiositate cognoverunt superbia amiserunt.「彼等驚きによりて認めたるものを、傲《おご》りによりて失いたりき」病苦が私に、さほど好奇心の磨滅を齎《もたら》さなかったことを、私は喜ぶ。
十一月×日
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