だ。ゴスが言っているそうだ。「チャリング・クロスの周囲三|哩《マイル》以内の地にのみ、文学は在り得る。サモアは健康地かも知れないが、創作には適さない所らしい。」と。或る種の文学に就いては、之は本当かも知れぬ。が、何という狭い捉われた文学観であろう!
 今日の郵船で着いた雑誌類の評論を一わたり見ると、私の作品に対する非難は、大体、二つの立場から為されているようだ。即ち、性格的な或いは心理的な作品を至上と考えている人達からと、極端な写実を喜ぶ人達からと、である。
 性格的|乃至《ないし》心理的小説と誇称する作品がある。何とうるさいことだ、と私は思う。何の為にこんなに、ごたごたと性格説明や心理説明をやって見せるのだ。性格や心理は、表面に現れた行動によってのみ描くべきではないのか? 少くとも、嗜《たしな》みを知る作家なら、そうするだろう。吃水《きっすい》の浅い船はぐらつく。氷山だって水面下に隠れた部分の方が遥かに大きいのだ。楽屋裏迄見通しの舞台のような、足場を取払わない建物のような、そんな作品は真平だ。精巧な機械程、一見して単純に見えるものではないか。
 さて、又一方、ゾラ先生の煩瑣《はんさ》
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