なる写実主義、西欧の文壇に横行すと聞く。目にうつる事物を細大|洩《も》らさず列記して、以て、自然の真実を写し得たりとなすとか。その陋《ろう》や、哂《わら》うべし。文学とは選択だ。作家の眼とは、選択する眼だ。絶対に現実を描くべしとや? 誰か全き現実を捉え得べき。現実は革。作品は靴。靴は革より成ると雖《いえど》も、しかも単なる革ではないのだ。
「筋の無い小説」という不思議なものに就いて考えて見たが、よく解らぬ。文壇から余りに久しく遠ざかっていたため、私には最早若い人達の言葉が理解できなくなって了ったのだろうか。私一個にとっては、作品の「筋[#「筋」に傍点]」乃至《ないし》「話[#「話」に傍点]」は、脊椎《せきつい》動物に於ける脊椎の如きものとしか思われない。「小説中に於ける事件[#「事件」に傍点]」への蔑視《べっし》ということは、子供が無理に成人《おとな》っぽく見られようとする時に示す一つの擬態ではないのか? クラリッサ・ハアロウとロビンソン・クルーソーとを比較せよ。「そりゃ、前者は芸術品で、後者は通俗も通俗、幼稚なお伽《とぎ》話《ばなし》じゃないか」と、誰でも云うに決っている。宜しい。
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