とも、俺という最大の愛読者がある限りは。愛すべきR・L・S・氏の独断を見よ!」
 事実、作品を書終えるや否や、彼は作者たることを止めて、其の作品の愛読者になった。誰よりも熱心な愛読者に。彼は、まるで、それが他の誰か(最も好きな作家)の作品であるかのように、そして、其の作品のプロットも帰結も何も知らない一人の読者として、心から楽しく読耽《よみふけ》るのである。それが、今度の「退潮《エッブ・タイド》」に限って、我慢にも読みつづけられなかった。才能の涸渇《こかつ》だろうか? 肉体の衰弱による自信の減退だろうか? 喘《あえ》ぎながら、彼は、殆ど習慣の力だけで、とぼとぼと稿を続けて行った

   十二

一八九三年六月二十四日
 戦争近かるべし。
 昨夜、我が家の前の道を、ラウペパ王が面を覆《つつ》み、騎乗して、何用のためか、あわただしく走り過ぎた。料理人が確かにそれを見たという。
 一方、マターファはマターファで、毎朝眼を覚ますと、必ず、昨夜《ゆうべ》迄は無かった新しい白人の箱[#「白人の箱」に傍点](弾薬箱のこと)に取囲まれているのを見出すという。何処から集まって来るのか、彼にも分らないのだ
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