てることは、彼にとって、子供の時から、食慾と同じ位に強い本能だった。コリントンの(母方の)祖父の所へ行く時は、何時も其の辺の森や川や水車に合いそうな物語を拵えて、ウェイヴァリ・ノヴルス中の諸人物を縦横に活躍させたものだ。ガイ・マナリングやロブ・ロイやアンドルウ・フェアサーヴィスなどを。蒼白い、ひよわな少年の頃の其の癖が未だに抜けきらない。というよりも、哀れな大小説家R・L・S・氏は斯うした幼稚な空想以外に創作衝動を知らないのである。雲のように湧起る空想的情景。万華鏡の如き影像の乱舞。それを見た儘《まま》に写し出す。(だから、あとは技巧だけの問題だ。しかも其の技巧には充分自信があった。)之が、彼の・唯一無二の・此の上なく楽しい制作方法であった。之には、良いも悪いもない。他に方法を知らないのだから。「何と云われようとも、俺は俺の行き方を固執して俺の物語を書くだけのことだ。人生は短い。人間は所詮 Pulvis et Umbra じゃ。何を苦しんで、牡蠣《かき》や蝙蝠《こうもり》共の気に入るために、面白くもない深刻な借物の作品を書くことがあろう。俺は俺の為に書く。たとえ、一人の読者が無くなろう
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