とえ長生したとて、斯《こ》の道に生きるに非ずして、何の良きことがあろうぞ!
さて、そうして茲《ここ》に二十年。医者が、それ迄は生きられまいと云った四十の歳を最早三年も生延びたのである。
スティヴンスンは彼の従兄のボッブのことを何時も考える。三歳年上のこの従兄は、二十歳前後のスティヴンスンにとって、思想上趣味上の直接の教師であった。絢爛《けんらん》たる才気と洗錬された趣味と該博な知識とを有《も》った・端倪《たんげい》すべからざる才人だった。しかも彼は何を為したか? 何事をもしなかった。彼は今パリで、二十年前と同じく、依然、あらゆる事を理解して、しかも、何事をも為さぬ・一介のディレッタントである。名声の挙がらぬことをいうのではない。彼の精神が其処から成長せぬことをいうのだ。
二十年前、スティヴンスンをディレッタンティズムから救ったデエモンは讃えらるべきであった。
子供の時の最も親しい遊道具だった「一|片《ペニイ》なら無彩色・二|片《ペンス》なら色つき」の紙芝居(それを玩具屋から買って来て家で組立て「アラディン」や「ロビン・フッド」や「三本指のジャック」を自ら演出して遊ぶのだが)の
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