しも賢くなっていないことを見いだした。賢くなるどころか、なにかしら自分がフワフワした(自分でないような)訳の分からないものに成り果てたような気がした。昔の自分は愚かではあっても、少なくとも今よりは、しっかり[#「しっかり」に傍点]とした――それはほとんど肉体的な感じで、とにかく自分の重量を有《も》っていたように思う。それが今は、まるで重量のない・吹けば飛ぶようなものになってしまった。外《そと》からいろんな模様を塗り付けられはしたが、中味のまるでないものに。こいつは、いけないぞ、と悟浄は思った。思索による意味の探索以外に、もっと直接的な解答《こたえ》があるのではないか、という予感もした。こうした事柄に、計算の答えのような解答を求めようとした己《おのれ》の愚かさ。そういうことに気がつきだしたころ、行く手の水が赤黒く濁ってきて、渠《かれ》は目指す女※[#「人べん+禹」、151−17]《じょう》氏のもとに着いた。
女※[#「人べん+禹」、152−1]《じょう》氏は一見きわめて平凡な仙人《せんにん》で、むしろ迂愚《うぐ》とさえ見えた。悟浄が来ても別に渠《かれ》を使うでもなく、教えるでもなかった。堅彊《けんきょう》は死の徒《と》、柔弱《にゅうじゃく》は生の徒なれば、「学ぼう。学ぼう」というコチコチの態度を忌まれたもののようである。ただ、ほんのときたま、別に誰に向かって言うのでもなく、何か呟《つぶや》いておられることがある。そういうとき、悟浄は急いで聞き耳を立てるのだが、声が低くてたいていは聞きとれない。三《み》月の間、渠はついになんの教えも聞くことができなかった。「賢者《けんじゃ》が他人について知るよりも、愚者《ぐしゃ》が己《おのれ》について知るほうが多いものゆえ、自分の病は自分で治さねばならぬ」というのが、女※[#「人べん+禹」、152−7]氏から聞きえた唯一の言葉だった。三《み》月めの終わりに、悟浄はもはやあきらめて、暇乞《いとまご》いに師のもとへ行った。するとそのとき、珍しくも女※[#「人べん+禹」、152−9]氏は縷々《るる》として悟浄に教えを垂れた。「目が三つないからとて悲しむことの愚かさについて」「爪《つめ》や髪の伸長をも意志によって左右しようとしなければ気が済まない者の不幸について」「酔うている者は車から墜《お》ちても傷つかないことについて」「しかし、一概に考
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