び入つたのだと人々は考へた。
さて、それ迄は、彼の最も親しい肉親、及び其の右手のこととて、彼にのり移るのも不思議はなかつたが、其の後一時平靜に復《かへ》つたシャクが再び譫言を吐き始めた時、人々は驚いた。今度は凡そシャクと關係のない動物や人間共の言葉だつたからである。
今迄にも憑《つ》きもののした男や女はあつたが、斯んなに種々雜多なものが一人の人間にのり移つた例《ためし》はない。或時は、此の部落の下の湖を泳ぎ廻る鯉がシャクの口を假《か》りて、鱗族《いろくづ》達の生活の哀しさと樂しさとを語つた。或時は、トオラス山の隼《はやぶさ》が、湖と草原と山脈と、又その向ふの鏡の如き湖との雄大な眺望について語つた。草原の牝狼が、白けた冬の月の下で飢に惱みながら一晩中|凍《い》てた土の上を歩き廻る辛さを語ることもある。
人々は珍しがつてシャクの譫言を聞きに來た。をかしいのは、シャクの方でも(或ひは、シャクに宿る靈共の方でも)多くの聞き手を期待するやうになつたことである。シャクの聽衆は次第にふえて行つたが、或時彼等の一人が斯んなことを言つた。シャクの言葉は、憑きものがしやべつてゐるのではないぞ、あれは
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