の大夫某と通じていて、一向夫の許に来ようとはしない。結局、二子|孟丙《もうへい》・仲壬《ちゅうじん》だけが父の所へ来た。
或朝、一人の女が雉《きじ》を手土産に訪ねて来た。始め叔孫の方ではすっかり見忘れていたが、話して行く中にすぐ判った。十数年前斉へ逃れる道すがら庚宗の地で契った女である。独りかと尋ねると、倅《せがれ》を連れて来ているという。しかも、あの時の叔孫の子だというのだ。とにかく、前に連れてこさせると、叔孫はアッと声に出した。色の黒い・目の凹んだ・傴僂なのだ。夢の中で己を助けた黒い牛男にそっくりである。思わず口の中で「牛!」と言ってしまった。するとその黒い少年が驚いた顔をして返辞をする。叔孫は一層驚いて、少年の名を問えば、「牛と申します」と答えた。
母子ともに即刻引取られ、少年は豎《じゅ》(小姓)の一人に加えられた。それ故、長じて後もこの牛に似た男は豎牛《じゅぎゅう》と呼ばれるのである。容貌に似合わず小才の利く男で、すこぶる役には立つが、いつも陰鬱《いんうつ》な顔をして少年仲間の戯れにも加わらぬ。主人以外の者には笑顔一つ見せない。叔孫にはひどく可愛がられ、長じては叔孫家の家
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