三言《みこと》、その下問に答えている中に、気に入られたと見え、帰りには親しく玉環《ぎょっかん》を賜わった。大人しい青年で、親にも告げずに身に佩《お》びては悪かろうと、豎牛を通じて病父にその名誉の事情を告げ玉環を見せようとした。牛は玉環を受取って内に入ったが、叔孫には示さない。仲壬が来たということさえ話さぬ。再び外に出て来て言った。父上には大変御喜びですぐにも身に着けるようにとのことでした、と。仲壬はそこで始めてそれを身に佩びた。数日後、豎牛が叔孫に勧める。既に孟丙が亡い以上、仲壬を後嗣に立てることは決まっている故、今から主君昭公に御目通りさせては如何。叔孫がいう。いや、まだそれと決めた訳ではないから、今からそんな必要はない。しかし、と牛が言葉を返す。父上の思召《おぼしめし》はどうあろうと、息子の方では勝手にそう決め込んで、もはや直接君公に御目通りしていますよ。そんな莫迦《ばか》な事があるはずは無いという叔孫に、それでも近頃仲壬が君公から拝領したという玉環を佩びていることは確かですと牛が請け合う。早速仲壬が呼ばれる。果たして玉環を佩びている。公からの戴きものだという。父は利かぬ身体を床の上に起こして怒った。息子の弁解は何一つ聞かれず、すぐにその場を退いて謹慎せよという。
その夜、仲壬はひそかに斉に奔《はし》った。
病が次第に篤《あつ》くなり、焦眉《しょうび》の問題として真剣に後嗣のことを考えねばならなくなった時、叔孫豹はやはり仲壬を呼ぼうと思った。豎牛にそれを命ずる。命を受けて出ては行ったが、もちろん斉にいる仲壬に使を出しはしない。さっそく仲壬の許へ使を遣わしたが非道なる父の所へは二度と戻らぬという返辞だったと復命する。この頃になってようやく叔孫にも、この近臣に対する疑いが湧《わ》いて来た。汝《なんじ》の言葉は真実か? と吃《きつ》として聞き返したのはそのためである。どうして私が偽《いつわり》など申しましょう、と答える豎牛の唇の端が、その時|嘲《あざけ》るように歪《ゆが》んだのを病人は見た。こんな事はこの男が邸に来てから全く始めてであった。カッとして病人は起上ろうとしたが、力が無い。すぐ打倒れる。その姿を、上から、黒い牛のような顔が、今度こそ明瞭な侮蔑《ぶべつ》を浮かべて、冷然と見下す。儕輩や部下にしか見せなかったあの残忍な顔である。家人や他の近臣を呼ぼうにも、
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