フ後からチョコチョコ白い姿を現すが、母がとらえようとすると、またフッと隠れてしまうあの場面を。
あとで公学校の島民教員補に聞くと、この子の両親(経師屋《きょうじや》だったそうだ)は子供に死なれてから間もなくこの地を立去ったということである。
宿舎としてあてがわれた家の入口に、珍しく茘枝《れいし》の蔓がからみ実が熟してはぜて[#「はぜて」に傍点]いる。裏にはレモンの花が匂う。門外橘花猶的※[#「白+樂」、第3水準1−88−69]、牆頭茘子已※[#「文+瀾のつくり」、248−7]斑、というのは蘇東坡《そとうば》(彼は南方へ流された)だが、ちょうどそっくりそのままの情景である。但し、昔の支那《シナ》人のいう茘枝と我々の呼ぶ茘枝と、同じものかどうか、それは知らない。そういえば、南洋到る所にある・赤や黄の鮮やかなヒビスカスは、一般に仏桑華《ぶっそうげ》といわれているが、王漁洋の「広州竹枝」に、仏桑華下小廻廊云々とある、それと同じものかどうか。広東《カントン》あたりなら、この派手な花も大いにふさわしそうな気がするが。
※[#ローマ数字6、1−13−26]
[#地から5字上げ
前へ
次へ
全83ページ中80ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング