カて理解できる程度らしく、自分からは何一つ言出さずに、ただ此方の言うことに一々大人しく相槌《あいづち》を打つだけである。これが年収五万ないし七万に上るという(椰子の密生した島を有《も》っているというだけで、コプラ採取による収入が年にその位あるのだ)大酋長とはちょっと思われなかった。椰子水とサイダーと蛸樹の果《み》とをよばれて、ほとんど話らしい話もせずに(何しろ向うは何一つしゃべらないのだから)家を辞した。
 帰途、案内の支庁の人に聞く所によれば、カブア青年は最近(私が先刻見た)妻の妹に赤ん坊を生ませて大騒ぎを引起したばかりだとのことである。

 早朝、深く水を湛えた或る巌蔭で、私は、世にも鮮やかな景観《ながめ》を見た。水が澄明で、群魚游泳の状《さま》の手に取る如く見えるのは、南洋の海では別に珍しいことはないのだが、この時ほど、万華鏡のような華やかさに打たれたことは無い。黒鯛《くろだい》ほどの大きさで、太く鮮やかな数本の竪縞《たてじま》を有った魚が一番多く、岩蔭の孔《あな》らしい所から頻《しき》りに出没するのを見れば、此処が彼らの巣なのかも知れない。この外に、透きとおらんばかりの淡い色を
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