ェ整っていると思われるのは大抵どちらかの血が混っているものだ)純然たるミクロネシヤ・カナカの典型的な顔だが、私はそれを大変立派だと思う。人種としての制限は仕方が無いが、その制限の中で考えれば、実にのびのびと屈託の無い豊かな顔だと思う。しかし、マリヤン自身は、自分のカナカ的な容貌を多少恥ずかしいと考えているようである。というのは、後に述べるように、彼女は極めてインテリであって、頭脳の内容はほとんどカナカではなくなっているからだ。それにもう一つ、マリヤンの住んでいるコロール(南洋群島の文化の中心地だ)の町では、島民らの間にあっても、文明的な美の標準が巾《はば》をきかせているからである。実際、このコロールという街――其処《そこ》に私は一番永く滞在していた訳だが――には、熱帯でありながら温帯の価値標準が巾をきかせている所から生ずる一種の混乱があるように思われた。最初この町に来た時はそれほどに感じなかったのだが、その後一旦|此処《ここ》を去って、日本人が一人も住まない島々を経巡《へめぐ》って来たあとで再び訪れた時に、この事が極めてハッキリと感じられたのである。此処では、熱帯的のものも温帯的のもの
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