つて其の女を呼ばせる。戎人|己氏《きし》なる者の妻であつた。顏立は美しくなかつたが、髮の見事さは誠に輝くばかりである。公は侍臣に命じて此の女の髮を根本《ねもと》から切取らせた。後宮の寵姫の一人の爲にそれで以て髢《かもじ》を拵へようといふのだ。丸坊主にされて歸つて來た妻を見ると、夫の己氏は直ぐに被衣を妻にかづかせ、まだ城樓の上に立つてゐる衞侯の姿を睨んだ。役人に笞打たれても、容易に其の場を立去らうとしないのである。

 冬、西方からの晉軍の侵入と呼應して、大夫・石圃《せきほ》なる者が兵を擧げ、衞の公宮を襲うた。衞侯の己を除かうとしてゐるのを知り先手を打つたのである。一説には又、太子疾との共謀によるのだともいふ。
 莊公は城門を悉く閉ぢ、自ら城樓に登つて叛軍に呼び掛け、和議の條件を種々提示したが石圃は頑として應じない。やむなく寡い手兵を以て禦がせてゐる中に夜に入つた。
 月の出ぬ間の暗さに乘じて逃れねばならぬ。諸公子・侍臣等の少數を從へ、例の高冠昂尾の愛※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]を自ら抱いて公は後門を踰《こ》える。慣れぬこととて足を踏み外して墜ち、したたか股を打ち脚を挫いた
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