子の前にだけ示すのである。此の太子疾と、大夫に昇った渾良夫《こんりょうふ》とだけが、荘公にとっての腹心といってよかった。
或夜、荘公は渾良夫に向って、先《さき》の衛侯|輒《ちょう》が出奔に際し累代の国の宝器をすっかり持去ったことを語り、如何《いか》にして取戻すべきかを計った。良夫は燭を執る侍者を退席させ、自ら燭を持って公に近付き、低声に言った。亡命された前衛侯も現太子も同じく君の子であり、父たる君に先立って位に在られたのも皆自分の本心から出たことではない。いっそ此の際前衛侯を呼戻し、現太子と其の才を比べて見て優れた方を改めて太子に定められては如何。若し不才だったなら、其の時は宝器だけを取上げられれば宜《よ》い訳だ。……
其の部屋の何処かに密偵が潜んでいたものらしい。慎重に人払いをした上での此の密談が其の儘太子の耳に入った。
次の朝、色を作《な》した太子疾が白刃を提げた五人の壮士を従えて父の居間へ闖入《ちんにゅう》する。太子の無礼を叱咤《しった》するどころではなく、荘公は唯色蒼ざめて戦《おのの》くばかりである。太子は従者に運ばせた牡豚を殺して父に盟《ちか》わしめ、太子としての己の
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