余は久しく流離の苦を嘗め来たった。どうだ。諸子にもたまには[#「たまには」に傍点]そういう経験が薬《くすり》だろうと。此の一言で直ちに国外に奔った大夫も二三に止まらない。姉の伯姫と甥の孔※[#「りっしんべん+里」、第3水準1−84−49]《こうかい》とには、固《もと》より大いに酬いる所があったが、一夜宴に招いて大いに酔わしめた後、二人を馬車に乗せ、御者に命じて其の儘国外に駆り去らしめた。衛侯となってからの最初の一年は、誠に憑《つ》かれた様な復讐の月日であった。空しく流離の中に失われた青春の埋合せの為に、都下の美女を漁っては後宮に納れたことは附加えるまでもない。
前から考えていた通り、己《おのれ》と亡命の苦を共にした公子疾を彼は直ちに太子と立てた。まだほんの[#「ほんの」に傍点]少年と思っていたのが、何時しか堂々たる青年の風を備え、それに、幼時から不遇の地位にあって人の心の裏ばかりを覗いて来たせいか、年に似合わぬ無気味な刻薄さをチラリと見せることがある。幼時の溺愛の結果が、子の不遜と父の譲歩という形で、今に到る迄残り、はたの者には到底不可解な気の弱さ[#「気の弱さ」に傍点]を、父は此の
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