家の当主衛の上卿たる・甥の孔※[#「りっしんべん+里」、第3水準1−84−49]《こうかい》(伯姫からいえば息子)を脅し、之を一味に入れてクウ・デ・タアを断行した。子・衛侯は即刻出奔、父・太子が代って立つ。即ち衛の荘公である。南子に逐われて国を出てから実に十七年目であった。

 荘公が位に立って先ず行おうとしたのは、外交の調整でも内治の振興でもない。それは実に、空費された己の過去に対する補償であった。或いは過去への復讐であった。不遇時代に得られなかった快楽は、今や性急に且つ十二分に充たされねばならぬ。不遇時代に惨《みじ》めに屈していた自尊心は、今や俄《にわ》かに傲然と膨れ返らねばならぬ。不遇時代に己を虐げた者には極刑を、己を蔑《さげす》んだ者には相当な懲しめを、己に同情を示さなかった者には冷遇を与えねばならぬ。己の亡命の因であった先君の夫人南子が前年亡くなっていたことは、彼にとって最大の痛恨事であった。あの姦婦を捕えてあらゆる辱しめを加え其の揚句《あげく》極刑に処してやろうというのが、亡命時代の最も愉《たの》しい夢だったからである。過去の己に対して無関心だった諸重臣に向って彼は言った。
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