であることが明らかになった。換言すれば一方、企業者が、利益があるとき生産を拡張し、損失を受けるときこれを縮少し得る自由と、他方、地主・労働者・資本家が用役をせり下げつつ売り、生産物をせり上げつつ購い得る自由、企業者が用役をせり上げつつ購い、生産物をせり下げつつ売り得る自由こそが、第二十章の方程式の実際的解法である。飜って、これらの方程式及びこれらの方程式がよって立つ所の条件を回想すれば、記憶に甦ってくるものは次の如くである。
――自由競争によって支配せられる市場における生産は[#「自由競争によって支配せられる市場における生産は」に傍点]、用役が[#「用役が」に傍点]、欲望の可能的最大満足を生ぜしめるに適当な性質と量との生産物に変形せられるために結合せられる操作である[#「欲望の可能的最大満足を生ぜしめるに適当な性質と量との生産物に変形せられるために結合せられる操作である」に傍点]。ただしこの結合は[#「ただしこの結合は」に傍点]、各生産物及び各用役が市場においてはそれぞれの需要と供給とを等しからしめる所の唯一の価格しかもたないという条件と[#「各生産物及び各用役が市場においてはそれぞれの需要と供給とを等しからしめる所の唯一の価格しかもたないという条件と」に傍点]、生産物の販売価格は用役から成る生産費に等しいという条件のうちに[#「生産物の販売価格は用役から成る生産費に等しいという条件のうちに」に傍点]、なされるものでなければならぬ[#「なされるものでなければならぬ」に傍点]。
二二二 最後におそらく人々は、科学的に丹念に仕上げられた純粋経済学の重要さを知ろうと欲するであろう。私は、純粋科学の観点に立って、今まで自由競争を一つの事実として採らなければならなかったし、また採ってきたのである。否、これを一つの仮説としてさえ採ってきたのである。これを私共が現実に見るか否かは、さまで重要ではない。厳密にいえば、これを思想のうちに考え得るのみで足りる。私は、これらの与件の下で、自由競争の性質・原因・結果を研究した。今や、これらの結果を要約すれば、ある限界の中で利用の最大を生ぜしめることであることが明らかになった。これによってこの自由競争の事実は利益の原理または利益の準則となる。これを農・工・商業に細密に適用することが残されているだけである。かくて純粋経済学の結論によって、私共は応用科学の入口にまで運ばれてくる。ここで読者は、私共の方法に対するある反対論が自らいかにその力を失うかを、見られるであろう。ある者はまずいった、「自由競争における価格の決定の要因の一つは人間の意志であって、その決断を計算することは不可能である」と。だが私は、人間の自由による決断を計算しようと試みたことはない。ただその結果を数学的に表わそうと試みただけである。私の理論にあっては、各交換者は自分の理解に基づいて、各自の利用欲望曲線を形成すると仮定せられている。ひとたびこれらの曲線が形成せられれば、いかにして曲線または価格が絶対的自由競争の仮設的の制度の下に現われるかを、示すことが出来る。しかるにある人はいう、「だが絶対的自由競争はまさしく一つの仮説に過ぎない。現実においては自由競争は、妨害をなす無数の原因によって妨げられている。故に、いかなる方式を用いても表わし得ない妨害要因を取除かれた自由競争それ自体のみを研究するのは、好奇心を満足する以外に何らの利益もあり得ない」と。この反対論の内容の空虚なことは明らかである。今後いかに科学が進歩しても、妨害原因を、交換方程式及び生産方程式に導き入れて表わし得ないと仮定してみても、――これを主張するのはおそらく軽率であり、たしかに無益である――私が立てた方程式は生産の自由という一般的にして優れた準則にだけは導き得るのである。自由は、ある限界のうちで、最大利用を生ぜしめる。故にこれを妨げる原因は、最大利用の実現を妨げる。そしてこれらの原因がいかなるものであろうとも、私共は出来得るだけそれらを除去せねばならぬ。
二二三 経済学者が既に自由放任(laisser faire, laisser passer)を鼓吹しながら述べてきたことは要するにこれであった。不幸にして今日までの経済学者は彼らのレッセ・フェール、レッセ・パッセを証明することをせず、ただ国家の干渉をこれまた証明することなく主張した新旧の社会主義者に対抗して、これを主張するだけであった。かくいえば、感激しやすい人は直ちにこれに反対してくるであろう。しかし問うことを私に許されたい、経済学者が自由競争の結果がいかなるものであるかを知らないとしたら、彼らはいかにして、これらの結果がよいとか有利であるとかいい得るかと。また、定義を下さず、またそのことに関係があり、そのことを証明する法則を定立せずして、自由競争が有利なことをいかにして知り得るかと。これこそレッセ・フェール、レッセ・パッセが経済学者によって証明されなかったと、私がいう先験的理由である。なお次に述べるような経験的な理由がある。ある原理が科学的に定立せられたとき、なし得る第一のことは、これが適用される場合と、適用されない場合とを弁別することである。これを反対から考えてみると、経済学者が自由競争を拡張してしばしばその限界を超えているのは、この自由競争の原理が充分に証明されていないよい証拠である。これらを今例を挙げて説明してみる。自由競争についての私の証明は、第一の基礎として、用役及び生産物に対する消費者の利用の評価に依存する。故にそれは、消費者が評価し得る個人的欲望すなわち私的利用(〔utilite' prive'〕)と、これとは全く異る方法で評価せられる社会的欲望すなわち公的利用(〔utilite' publique〕)との間の根本的区別を予想している。故に私的利益に関する物の生産に適用せられる自由競争の原理は、公共利益の物の生産に適用せられるべきではない。しかるに、公共用務を私的企業に委ねて自由競争に従わしめようとする謬想《びゅうそう》に陥った経済学者もある。なお他の例を挙げる。私の証明は、第二の基礎として、生産物の販売価格と生産費との均等化に依存する。故にそれは、企業者が利益のある企業に集り、損失のある企業を去り得る可能性を予想する。だから自由競争の原理は、自然的必然的独占の対象である物の生産には、必然的に適用せられない。しかるに独占的産業についても、自由競争を絶えず主張する所の経済学者がある。最後に自由競争についての考察をおえるために、最後ではあるが最も重要な解説をしておく。すなわち利用の問題を明らかにしながら自由競争についてなした私の証明は、正義の問題を全く考慮外に置く。私の証明は、用役のある配分から生産物のいかなる分配が生ずるかの点に限られている。それは、用役の分配の問題には少しも触れていない。しかるに産業の問題について、レッセ・フェール、レッセ・パッセを高調することで満足せず、これを所有権の問題にまで故なく妄《みだ》りに適用しようとしている経済学者がある。これこそ、科学を文学的に取扱うことの危険である理由である。真と偽とを同時に主張する人があり、従って偽と真とを共に否定しようとする人がある。そして、互に理由もあれば誤ってもいる所の反対者によって、反対の方向に引張られながら、人々の意見が決定せられる。
二二四 vt[#「t」は下付き小文字], vp[#「p」は下付き小文字], vk[#「k」は下付き小文字] ……は用役(T)、(P)、(K)……の交換価値であり、これらと生産物(A)の交換価値 va[#「a」は下付き小文字] との比がこれらの用役の価格を成すものであり、rt,1[#「t,1」は下付き小文字], rp,1[#「p,1」は下付き小文字], rk,1[#「k,1」は下付き小文字] …… rt,2[#「t,2」は下付き小文字], rp,2[#「p,2」は下付き小文字], rk,2[#「k,2」は下付き小文字] …… rt,3[#「t,3」は下付き小文字], rp,3[#「p,3」は下付き小文字], rk,3[#「k,3」は下付き小文字] ……はこれらの用役を直接に消費するために保留しまたは獲得した人(1)、(2)、(3)……における交換後のこれらの用役の稀少性すなわち充された最後の欲望の強度であるとすると、私共は一般均衡の表(第一三三節)を次の如く補足せねばならぬ。
[#ここから4字下げ]
va[#「a」は下付き小文字] :vb[#「b」は下付き小文字] :vc[#「c」は下付き小文字] :vd[#「d」は下付き小文字] :……:vt[#「t」は下付き小文字] :vp[#「p」は下付き小文字] :vk[#「k」は下付き小文字] :……
::ra,1[#「a,1」は下付き小文字]:rb,1[#「b,1」は下付き小文字]:rc,1[#「c,1」は下付き小文字]:rd,1[#「d,1」は下付き小文字]:……:rt,1[#「t,1」は下付き小文字]:rp,1[#「p,1」は下付き小文字]:rk,1[#「k,1」は下付き小文字]:……
::ra,2[#「a,2」は下付き小文字]:rb,2[#「b,2」は下付き小文字]:rc,2[#「c,2」は下付き小文字]:rd,2[#「d,2」は下付き小文字]:……:rt,2[#「t,2」は下付き小文字]:rp,2[#「p,2」は下付き小文字]:rk,2[#「k,2」は下付き小文字]:……
::ra,3[#「a,3」は下付き小文字]:rb,3[#「b,3」は下付き小文字]:rc,3[#「c,3」は下付き小文字]:rd,3[#「d,3」は下付き小文字]:……:rt,3[#「t,3」は下付き小文字]:rp,3[#「p,3」は下付き小文字]:rk,3[#「k,3」は下付き小文字]:……
::………………………………………………………
[#ここで字下げ終わり]
直接に消費せられる地用・労働・利殖は、あるいは時間で計量せられる無限小量ずつ、あるいは土地・人・資本の計量単位に相応する量ずつ、消費せられることが出来る。故に表中にこれらに関する部分に、充された最後の欲望の強度と充されない最初の欲望の強度とのおよそ中間に、下線を施した稀少性の項を記入することが出来る。かつまた用役についても、生産物についても、充されるべき最初の欲望の強度より大きい稀少性の比例項を括弧のうちに記入することが出来る。これらの二つの留保をすれば、生産物についての次の命題は、用役へと拡張せられることが出来る。――交換価値は稀少性に比例する[#「交換価値は稀少性に比例する」に傍点]。
二二五 (T)、(P)、(K)は無限小量ずつ消費せられ得る土地用役・人的用役・動産用役であり、τr,1[#「r,1」は下付き小文字]τq,1[#「q,1」は下付き小文字], τr,2[#「r,2」は下付き小文字]τq,2[#「q,2」は下付き小文字], τr,3[#「r,3」は下付き小文字]τq,3[#「q,3」は下付き小文字], πr,1[#「r,1」は下付き小文字]πq,1[#「q,1」は下付き小文字], πr,2[#「r,2」は下付き小文字]πq,2[#「q,2」は下付き小文字], πr,3[#「r,3」は下付き小文字]πq,3[#「q,3」は下付き小文字], χr,1[#「r,1」は下付き小文字]χq,1[#「q,1」は下付き小文字], χr,2[#「r,2」は下付き小文字]χq,2[#「q,2」は下付き小文字], χr,3[#「r,3」は下付き小文字]χq,3[#「q,3」は下付き小文字](第六図)は交換者(1)、(2)、(3)に対するこれらの用役の利用または欲望の連続な曲線であるとする。0.75, 2.16, 1.50 を、(A)で表わした(T)、(P)、(K)の価格であるとする。この仮定せられた場合において、交換者(1)と交換者(3)とは三つの用役を消費する。この仮定せられた場合において、交換者(1)は用役の
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