このように掛引によって定まる地用の価値尺度財で表わした市場価格は地代[#「地代」に傍点](fermage)と呼ばれる。
 価値尺度財で表わした労働の市場価格は賃銀[#「賃銀」に傍点](salaire)と呼ばれる。
 価値尺度財で表わした利殖の市場価格は利子[#「利子」に傍点](〔inte're^t〕)と呼ばれる。
 生産的用役とそれらの市場と、この市場における有効需要と有効供給と、そしてこの需要と供給との結果としていかにして市場価格が現われるかの機構とは、資本と収入と企業者の定義とによって明らかになった。後に、イギリス・フランスの経済学者が地代、賃銀、利子すなわち生産的用役の価格を決定しようと努力しながら、これらの用役の市場を考えなかったために、不成功に終ったことを述べるであろう。
 一八六 市場の他の一つは生産物の市場[#「生産物の市場」に傍点]である。ここでは、企業者が生産物の売手として、地主・労働者・資本家は生産物の買手として現われる。これらの生産物もまた価値尺度財を仲介として、自由競争の機構に従って交換せられる。人々はこれらの生産物の各々に対し、価値尺度財で表わされた価格を叫ぶ。この叫ばれた価格において、有効需要が有効供給より大であるならば、地主・労働者・資本家はせり上げ、価格は騰貴する。もし有効供給が有効需要より大であるならば、企業者はせり下げて、価格は下落する。各生産物の市場価格は、有効需要と有効供給とが相等しくなるような価格である。
 かくて、他の一方に、生産物の市場と、需要と、供給と市場価格とがいかにして成立するかが明らかになった。
 一八七 これらの概念は、容易に認め得られるであろうように、事実と観察と経験とに、正確に一致する。実に貨幣の仲介によって行われる用役の売買市場と生産物の売買市場とは、経済学上においてと同じく、事実においてもまた、全く異るものである。それらの市場の各々において、売買はせり上げとせり下げの機構によって行われる。靴を買おうとして靴屋に入れば、生産物を与えて貨幣を受領する者は、企業者である。この活動は生産物の市場において行われる。生産物の需要が供給より多ければ、他の消費者は価格をせり上げる。供給が需要より多ければ、他の生産者がせり下げる。また一人の労働者は、一足の靴の手間賃の価格を定める。企業者は生産的用役を受け、貨幣を与える。この活動は用役の市場においてなされる。もし労働の需要が供給より大であれば、他の企業者は靴屋の賃銀をせり上げる。この供給が需要より大であれば、他の労働者はせり下げる。しかしこのように二つの市場は、全く異っているとしても、互に相連絡していないわけではない。なぜなら消費者である地主・労働者・資本家が、生産物の市場において生産物を買い入れるのは、用役の市場において彼らの生産的用役を売って得た貨幣をもってであるからであり、企業者が用役の市場において生産的用役を買い入れるのは、生産物を売って得た貨幣をもってであるからである。
 一八八 交換の均衡状態を陰伏的に含む所の生産の均衡状態は、今は、容易に定義し得られる。それはまず生産用役の有効需要と供給とが等しい状態であり、これらの用役の市場において静止的な市場価格が存在する状態である。またそれは生産物の有効需要と供給とが相等しい状態であり、生産物の市場において静止的市場価格が存在する状態である。更にまたそれは生産物の売価が生産的用役より成る生産費に等しい状態である。そしてこれらの状態のうち、最初の二つは交換の均衡に関するものであり、第三は生産の均衡に関するものである。
 生産の均衡のこの状態は、交換の均衡の状態のように、理念的状態であって、現実の状態ではない。生産物の売価が生産用役から成る生産費に絶対的に等しいことはないであろう。それは生産用役または生産物の有効需要供給が絶対的に等しい事がないのと同様である。しかしその均衡は、交換に対してと同じように、生産に対して適用せられた自由競争の制度の下において、自ら落付くであろう所の状態であるという意味において、正常の状態である。自由競争の制度の下において、もしある企業のうちに生産物の売価が生産用役から成る生産費より大であれば、利益が生じ、企業者の出現を促し、または企業者はその生産を拡張し、その結果生産物の量は増加し、価格は下り、差益は減少する。そしてもしある企業において、生産用役から成る生産物の生産費が生産物の価格より小であれば、損失が生じ、企業者は減じ、または企業者はその生産を減少し、その結果生産物の量は減少し、価格は騰《あが》り、差損は減少する。しかし企業者が多数であることが生産の均衡を齎らすとしても、理論的にはこれのみがこの目的を達する唯一の方法ではなくして、生産用役をせり上げつつ需要し、生産物をせり下げつつ供給し、損失があれば常に生産を制限し、利益があれば常に生産を拡張する所のただ一人の企業者も同じ結果を与えることを、注意すべきである。また企業者によってなされる生産用役の需要と生産物の供給とを決定する理由が、損失を避け、利益をあげようとする欲望にあることを注意すべきである。それは先に述べたように、地主・労働者・資本家によってなされる生産用役の供給と生産物の需要とを決定する理由が欲望の最大満足を得ようとする欲望にあるのと同様である。また更に交換と生産との均衡状態においては、既に述べたように(第一七九節)、貨幣(価値尺度財を捨象出来ぬとしても、少くとも貨幣)を抽象することが出来、地主・労働者・資本家及び企業者は、地用・労働・利殖の名をもつ生産用役のある量と交換に、地代・賃銀・利子という名称の下に、生産物のある量受けまたは与える者であると、考え得ることを注意すべきである。この状態においては、企業者の介在をも捨象し、単に生産用役が生産物と交換せられ、生産物が生産用役と交換せられると考え得るのみでなく、また結局においては、生産用役と生産用役とが交換せられると考えることが出来る。かつてバスチアもまた分析をおしつめれば、人は用役と用役とを交換するものであるといったが、しかし彼はこれを人的用役についていっただけである。私は、土地の用役・人的用役・動産用役についても、かくいうのである。
 だから生産の均衡状態においては、企業者は利益も得なければ損失も受けない。この場合には、企業者は企業者として存在するのではなくして、自己のまたは他人の企業のうちに、地主・労働者または資本家として存在するのである。故に私は思うに、合理的な会計をなそうとすれば、自ら耕作する土地の地主である企業者、自らの企業の経営に任ずる企業者、事業に投下した動産資本を所有する企業者は、一般的経費として、地代・賃銀・利子を借方に記入し、またこれらを企業者勘定の貸方に記入せねばならぬ。この方法をとれば、正確には、企業者として利益も損失も得られない。実際、もし企業者が、自分の企業において、自分の生産用役から、他の企業において得られるより高い価格を得られるとすれば、この企業者はその差だけの利益または損失を受けることとなるのは、明らかではないか。
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    第十九章 企業者について。企業の会計と損益計算

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要目 一八九、一九〇 消費者と生産者の間における社会的富の分配。狭義の資本は実物でなく、貨幣で貸付けられる。信用。固定資本、流動資本。一九一、一九二 現金勘定、借方、貸方、残高。一九三、一九四 金庫内の現金の源泉と行方。資本主またはマルタン勘定。固定資本または固定設備費勘定。流動資本勘定(商品及び営業費)。複式簿記の原理。借方、貸方、元帳、日記帳。一九五 出資者勘定貸方。固定設備費勘定借方。商品勘定借方。営業費勘定借方。商品勘定貸方。一九六 営業費勘定の残高を商品勘定借方へ。商品勘定残高を損益勘定の貸方または借方へ。一九七 貸借対照表。一九八、一九九 複雑化。(1) 記帳の詳細。(2) 得意先勘定借方。(3) 受取手形。(4) 銀行勘定。(5) 仕入先勘定貸方。(6) 支払手形。(7) 棚卸商品。
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 一八九 以上の如くであるから、企業者は、原料を他の企業者から購い、地代を支払って土地所有主から土地を賃借し、労銀を支払って労働者の人的能力を賃借し、利子を支払って資本家の資本を賃借し、最後に生産用役を原料に適用し、得られる生産物を自分の計算で販売する所の人(個人または会社)である。農業の企業者は種子・肥料・痩せた家畜を購い、土地・経営上の設備・耕作の機具を借り入れ、耕作労働者・刈入人夫・召使を雇い、農産品・肥《ふと》った家畜を売る。工業企業家は繊維・地金を買入れ、工場・仕事場・機械・道具を借り入れ、製紙工・鉄工・機械工を募集し、製品である綿布・鉄製品を売る。商業企業者は商品を大口に買入れ、倉庫・店舗を賃借し、店員・外交員を雇傭し、商品を小口に売る。そしてこれらの企業者がその生産物または商品を、原料・地代・賃銀・利子等に要した費用より高く売るときには、彼らは利益を受け、反対の場合には、損失を蒙る。これらが企業者の職分を特色付けるそれぞれの現象である。
 一九〇 先に述べた生産要素の表(第一七八節)と併せて考えてみると、この定義は、先の表を説明し、その表が正しかったことを証明するものであることが解ると思う。
 第一・二・三項目の下に分類せられた資本すなわち消費用役を生産する資本は消費者である土地所有者・労働者・資本家の手中にあるものである。第四・五・六項目の下に分類せられた資本すなわち生産用役を生産する資本は、企業者の手中にあるものである。だから、ある用役が消費用役であるかまたは生産用役であるかは、常に容易に認定し得られる。例えば公園の地用・官吏の労働・公共建築物の利殖は、生産的用役ではなく、消費用役である。けだし、国家はその生産物を少くとも生産費に等しい売価で売ろうとする企業者ではなくして、租税によって、土地所有者・労働者・資本家としての地位を得ている消費者であり、用役と生産物とを、これらの人々と同じ地位に立って買入れる消費者であるからである。
 同様に、収入のうち第八項目の下に分類せられたものは消費者の手中にあり、第九項目の下に分類せられたものは企業者の手中にある。だがここに重要な解説をしておかねばならぬ。
 土地資本と人的資本とは、現物のまま賃借せられる。地主はその土地を、労働者はその労働を、あるいは一箇年、あるいは一箇月、あるいは一日の間、企業者に賃借し、期限の満了と共に、これらを取戻す。動産資本は、建物とある少数の家具・道具を除き、現物のまま賃貸せられないで、貨幣の形で賃貸せられる。資本家は継続的な貯蓄によってその資本を形成し、その貨幣をある期間に亙り、企業者に貸付ける。企業者はこの貨幣を狭義の資本に変形し、期間の満了と共に、貨幣を資本家に返還する。この操作は信用[#「信用」に傍点](〔cre'dit〕)を構成する。そこで第九項目の下に分類せられた原料から成る収入及び第六項目の下に分類せられた動産資本は、企業者が借入れる資本の一部をなすことが出来る。人々は動産資本に固定資本[#「固定資本」に傍点](capital fixe または 〔fonds de premier e'tablissement〕)の名を与える。これは、生産において一回以上役立つすべての物の総体である。また人は、第七項目の下に分類せられた新動産資本及び第十項目の下に分類せられた新収入をも併せて、原料に流動資本[#「流動資本」に傍点](capital circulant または fonds de roulement)の名を与える。これは、生産において一回しか役立たないすべての物の総体である。
 第十一項目の下に分類せられる流通貨幣は消費者の手中にある。第十二項目の下に分類せられる流通貨幣は企業者の流動資本の一部を成す。第十三項目の下に分類せられる貯蓄貨幣は、消費者の手中にあって、収入の消費に対
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