が、それと同じく、生産用役の価格の数学的決定の問題を研究するに当っても、生産における自由競争の機構の正確な概念を得るために、事実と経験とに問わねばならない。ところでもし、この分析のために、与えられた国において、経済的生産の機能が一時停止したと想像すれば、既に列挙した消費的用役と生産的用役との区別(第一六九節)と、資本と収入(第一七〇――一七三節)とを結合して、この機能の要素を次の十三項目に分類することが出来る。
 資本としては、
 1、2、3 消費的用役すなわち資本の所有者自らにより直接に消費せられる収入、またはこれら収入の所得者により、または個々の人々により、あるいはまた公共団体・国家によって直接に消費せられる収入を生産する土地資本[#「土地資本」に傍点]、人的資本[#「人的資本」に傍点]、動産資本[#「動産資本」に傍点]。例えば土地資本は、公園、庭園、住居・公共の建築物を支える土地、街路、道路、広場等。人的資本は、例えば閑人、僕婢、官吏など。動産資本としては、住居、公共の建築物、娯楽用の樹木草本、動物、家具衣服、芸術品等。
 4、5、6 生産的用役すなわち農業工業商業によって生産物に変化せられるべき収入を生産する土地資本[#「土地資本」に傍点]、人的資本[#「人的資本」に傍点]、動産資本[#「動産資本」に傍点]。土地資本として、例えば耕作地、及び生産用の建設物や工場や細工場や倉庫等を支える地面など。人的資本として、賃銀労働者、自由職業に従事する者等。動産資本として、生産用の建設物、工場、倉庫、収入を生ずる樹木、作業用の動物、機械、道具等。
 7 一時の間収入を生ぜず、生産物として生産者によって売られる新動産資本[#「新動産資本」に傍点]。例えば、新に建設せられて売られるべき家屋その他の建築物、店舗に陳列せられる動物植物、家具衣服、芸術品、機械、道具等。
 収入としては、
 8 消費者の手中にある消費目的物[#「消費目的物」に傍点]から成る収入[#「収入」に傍点]の貯蔵。例えば、パン、肉、葡萄酒、野菜、油、薪炭等。
 9 生産者の手中にある原料品[#「原料品」に傍点]から成る収入[#「収入」に傍点]の貯蔵。例えば、肥料、種子、金属、加工用の材木、加工用の繊維、布、工業用の燃料等。
 10[#「10」は縦中横] 生産物となって、生産者の手によって売られる消費目的物[#「消費目的物」に傍点]及び原料[#「原料」に傍点]から成る新収入[#「新収入」に傍点]。例えば、パン屋・肉屋にあるパン・肉、店舗に陳列せられる金属、加工用木材、繊維、布等。
 最後に貨幣として、
 11[#「11」は縦中横]、12[#「12」は縦中横]、13[#「13」は縦中横] 消費者の手中にある流通貨幣[#「流通貨幣」に傍点]、生産者の手中にある流通貨幣[#「流通貨幣」に傍点]、及び貯蔵せられる貨幣[#「貯蔵せられる貨幣」に傍点]。
 容易に知られるように、最初の六項目は、三種の資本に、消費的用役を生産する資本と、生産的用役を生産する資本との区別を導き入れることによって得られ、第七項目は、収入を生産しない狭義の資本を独立せしめることによって得られる。ここに資本と収入のほかに貨幣を独立せしめるのは、貨幣が、生産において、混合した職能を尽すからである。社会的観点から見ると、貨幣は一回以上支払いに役立つ故に、資本である。個人の観点からは、貨幣は収入である。なぜなら、それは、人が支払のために用いれば失われて、ただ一回しか役立たないから。
 一七九 右に、私は、経済的生産の機能が一時停止していると仮定した。今この機能が働き始めたと考えてみる。
 最初の六項目に分類せられたものの中で、土地は破壊し消滅せられることがない。人は、農業・工業・商業の生産とは独立に――ただしこの経済的生産と何らの関係が無いわけではないが(この理由は後に述べるであろう)――人口の運動によって、死滅し発生するであろう。また使用により破壊せられ、事故により消滅する狭義の資本は、消耗し消失するが、第七項目の下に分類せられた新資本によって補充せられる。かくて狭義の資本の量は、この事実によって減少するが、生産によって回復せられる。問題を簡単にするため、今はしばらく、新動産資本は生産せられると同時に第三及び第六項目に入るものと仮定して、第七項目を捨象することが出来よう。
 第八、九項目の下に分類せられた消費の目的物及び原料は、直ちに消費せられるべき収入であって消費せられるけれども、第十項目の下に分類せられる収入によって代えられるものである。かくてこれらの量は、この事実によって減少するけれども、生産によって回復せられる。ここでもまた、新収入は、生産せられると同時に、第八、九項目の下に入るものと仮定して、第十項目を捨象することが出来よう。更に消費目的物及び原料は、生産せられると同時に直ちに消費せられる(貯蔵をしないとすれば)ものと仮定して、第八及び第九項目を捨象することが出来よう。
 貨幣は交換に参加するものである。流通貨幣の一部が、貯蓄となって吸収せられるとき、この貯蔵貨幣の一部は、信用によって、流通界に出てくる。もし貯蓄という事実を捨象すれば、貯蓄の貨幣を捨象することが出来る。なおまた流通貨幣をも捨象し得るであろうことは、後に述べる。
 一八〇 要するに消費的用役は、第一、二、三項目の下に分類せられる土地資本、人的資本、動産資本によって再生産せられると直ちに消費せられ、消費的収入は、第四、五、六項目の下に分類せられる土地資本、人的資本、動産資本によって再生産せられると、直ちに消費せられる。収入は、定義により、その最初の用役を尽せばもはや存在しない。人々が収入に対してこの用役を要求すれば、収入は消滅する。専門語でいえば、それらは消費[#「消費」に傍点](consommer)せられる。パン、肉は食われ、葡萄酒は飲まれ、油、薪炭は燃焼せられ、肥料、種子は土地に投下せられ、金属、木材、繊維、布は加工せられ、燃料は使用せられる。しかしこれらの収入は、資本の作用の結果として再生産せられるのであって、全く消滅するのではない。資本は、定義により、人々が第一回の使用をしてもなお存在を続けるものである。人々がこれらの継続的使用をすれば、それに役立つことを続ける。専門語でいえば、資本は生産[#「生産」に傍点](produire)する。耕作地は耕作せられ、ある土地は生産設備を支え、労働者はこの設備の中に労働し、機械道具等を使用する。要するに、土地資本、人的資本、動産資本は、それぞれ地用、労働、利殖を提供し、農業・工業・商業はこれらの地用、労働、利殖を結合せしめて、消費せられた収入に代替すべき、新しい収入を得るのである。
 一八一 だがこれだけでは足りない。直ちに消費せられる消費目的物及び原料のほかに、長い間に消費せられる狭義の資本がある。家屋その他の建築物は毀損し、衣服、芸術品は消耗する。これらの資本は、使用により、あるいは速かにあるいは徐々に破壊せられる。また事故により偶然に消滅こともあり得る。故に土地資本、人的資本、動産資本は新しい収入を生産するだけでは足りない。消耗せられる動産資本及び事故により消失する動産資本の代りに、新動産資本を生産せねばならない。出来得れば、現在の動産資本より多い新動産資本を生産せねばならぬ。そしてこの観点から、私共は、経済的進歩の特色を今既に指摘しておくことが出来る。実際、ある時間の終りに、先になしたと同じく、再び経済的生産の働きを停止したと考え、かつこのとき、動産資本が以前より大であるならば、それは経済的発展の象徴である。かくて経済的発展の特色の一つは、動産資本の量の増加にある。次編ではもっぱら新資本の生産の研究をなすであろうから、私はこれを後の研究に譲り、今は新収入すなわち消費の目的物及び原料の生産の問題の研究をなすであろう。
 一八二 生産資本によっての消費的収入及び動産資本の生産は、互に結合して生産の働きをなす資本の作用によって行われる。土地資本が主に働く農業においても、生産物は単に地用を反映するのみならず、労働及び利殖をも反映している。また反対に、資本の働きが支配的な工業においても、労働及び利殖と共に、地用が生産物の構成の中に入ってくるのである。おそらくはいかなる例外もなく、生産のためには、労働者を支えるべき土地と、人的能力と、資本である道具がなければならぬ。故に土地と人と資本との結合協力は経済的生産の本質である。先に生産要素の分類に役立った資本と収入との区別が(第一七八節)、また生産の機構を示すに役立つであろう。
 一八三 収入は、第一回の用役を尽した後には存在しないという性質があることによって、売買せられるかまたは贈与せられることしか出来ない。それらは賃貸せられ得るものではない。少くとも自然の形においては、いかにしてパンや肉を賃貸することが出来よう。しかるに資本は一回の使用をなしてもなお残存するという性質があることによって、有償または無償で、賃貸することが出来る。人々は例えば家屋什器を賃貸することが出来る。そしてこの行為の存在の意義は何であろうか。それは、賃借人に用役の享受を得せしめることである。資本の賃貸とは資本の用役を譲渡することである[#「資本の賃貸とは資本の用役を譲渡することである」に傍点]。この定義は全く資本と収入との区別に基く基本的な定義であって、これなくしては生産理論と信用理論とは成立しない。資本の有償的賃貸は用役の売買であり、その無償的賃貸は用役の贈与である。この有償的賃貸によって第四、五、六項目の下に分類せられた土地資本・人的資本・動産資本は生産のために結合せられる。
 一八四 土地の所有者を地主[#「地主」に傍点](〔proprie'taire foncier〕)と呼び、人的能力の所有者を労働者[#「労働者」に傍点](travailleur)と呼び、狭義の資本の所有者を資本家[#「資本家」に傍点](capitaliste)と呼ぶ。そして今、右の所有者とは全く異り、地主から土地を、労働者から人的能力を、資本家から資本を借入れ、これら三つの生産的用役を農業・工業または商業によって結合することを職分とする第四の人を企業者[#「企業者」に傍点](entrepreneur)と呼ぶ。もちろん実際においては、同じ人が右に定義した二つまたは三つの職能を兼ねることが出来る。否四つ全部さえも兼ねることが出来る。そしてこの結合が異るに従って、種々の企業の形態が生ずるのである。だがそれらの場合にも、彼は異る二つ、三つまたは四つの職能を果すのであることは明らかである。科学的観点からは、我々は、これらの職能を区別し、それによって企業者と資本家とを同一視したイギリスの経済学者の誤や、企業者を企業の指揮の労働をなす者と考えたフランスの学者らの誤を避けねばならない。
 一八五 企業者の職分がこのように考えられた結果として、二つの異る市場を考えねばならない。その一は用役の市場[#「用役の市場」に傍点]である。そこでは、地主、労働者、及び資本家が売手として、企業者が生産的用役すなわち地用・労働・利殖の買手として相会する。しかしまた、用役の市場には、生産的用役として地用・労働・利殖を買入れる企業者のほかに、消費的用役として地用・労働及び利殖を買入れる地主、労働者、資本家がある。これらの人々を、私は、時と処に応じて導き入れてくるであろうが、今しばらく企業者のみが生産的用役を購う場合を研究せねばならない。これらの生産的用役は、価値尺度財を仲介とする自由競争の機構によって交換せられる(第四二節)。人々は各用役に対し、価値尺度財で表わした価格を叫ぶ。もしこの叫ばれた価格において、有効需要が有効供給より大であれば、企業者はせり上げ、価格は騰貴する。もし有効供給が有効需要より大であれば、地主、労働者、資本家はせり下げ、価格は下落する。各用役の市場価格は、有効需要と有効供給とを相等しからしめる価格である。

前へ 次へ
全58ページ中45ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
手塚 寿郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング